ブログ とりあえず/一覧


カテゴリ
たいとる
ブログ とりあえず/一覧 (20)



2017年6月
       
29 30  

新着エントリ
どびの輔日誌 (7/23)
予想される反論 その2 (7/21)
予想される反論 (7/20)
バーニングが何故いけないのか? (7/18)
両班階級と広澤草 (7/15)
その4 (7/8)
落下傘候補 3 (7/8)
落下傘候補 その2 (7/8)
”落下傘候補”の戦略 (7/8)
eienさんへの返信 3 (7/6)
eienさんの最返信 2 (7/6)
eienさんへの再返信 (7/6)
聖子さんや明菜さんは  3 説明 (7/6)
続き というか・・ (7/5)
もしかして (7/5)
南野陽子さんは・・ (7/5)
聖子さんや明菜さんは・・その2 (7/5)
聖子さんや明菜さんは・・・ (7/5)
eienさんへの返信 その2 (7/4)
eienさんへの返信 (7/4)


アーカイブ
2004年 (20)
7月 (20)


アクセスカウンタ
今日:5
昨日:20
累計:174,119


RSS/Powered by 「のブログ

[PR]



2004年07月23日(Fri)▲ページの先頭へ
どびの輔日誌

どびのすけ日誌というサイトで、某芸能事務所に、離婚費用を肩代わりしてもらっている芸能記者が登場します。ぶっちゃけた話、買収です。

芸能界どびの輔日誌
2001年の 3月25日の記事です




いえることは、この事務所というのは間違いなく大手だということです。


ハテ、どうしてそんなことがいえるのだ?規模の小さな事務所だって、買収するかもしれないだろう。弱小だって、一人くらいなら買収できる余裕はあるだろうし、タレントについて、記者にいいこと書いてもらい気持は大手と変わらないだろうし、買収するメリットは、大手、弱小ともども変わらないのではないのか?



答えですが・・


買収するメリットは、大手になればなるほどあがります。
それに反して弱小は、そんなことをしても意味がありません。
ですから、こんなことをする事務所は、大手以外にありえません。


理由ですが・・



小規模事務所は金がないから・・これは理由にはなりません
一人か二人の事務所でも、売れっ子を抱えているのなら、金は持っています。
問題は規模です。規模と資金の両方といってもいいでしょう。その両方が、相当ある事務所でないと、こんなことやっても無意味なのです。


小規模事務所であれば、自分の所のタレントの数が、売れっ子芸能人全体に占める割合などわずかなものです。いくら売れっ子がいたとしても、小規模事務所であれば一人か二人にしかすぎません。売れっ子芸能人がこの世に数あまたいる中、自分のタレントが紙面に登場する頻度など、ごくわずかです。たかだか数ヶ月にいっぺんくらいしか出ない自分の芸能人の記事をよくするため、小規模事務所があえてそんなことをするでしょうか?買収の効果が発揮できる範囲がごく狭いというわけです。そのために一人の記者を買収したとして、効果は薄いでしょう。


また、買収した芸能記者が、芸能記者全体に占める対する割合というものもあります。芸能記者などはいて捨てるほどいるのですから、そのうち一人を買収したところで、そんなもの焼け石に水。これまた効果は薄い。こういったものは、政治と同じで、数をこなさなければダメです。かといって小規模だが金持ちの事務所※が、大手並に物量勝負をかけて、たくさんの芸能記者を買収することなど、なおさら意味が無いでしょう。





買収したところで、規模そのものがちいさいのであるから、印象を良くしてもらいたいと願う、子飼い芸能人(たとえば人気がまだないがプッシュしたい新人)そのものも少ない。期待される効果は少ない。プッシュしてもらいたいタレントを山ほど抱えていて、なおかつ買収した記者が、全体の割合で、一定以上のシェアを占めていないと、まったく意味が無いわけです。どうせやるなら徹底的に、でっかくやらないと意味がない・・結局、無理やりやれば小規模事務所も可能かもしれないが、無意味だ・・というわけです。



(※小規模だが金持ちの事務所・・・・ハテ、金を持っているんだから小規模とはいえないのでは?
っていうか、買収などのフィールドにおいてそんなに大手が有利なことならば、規模の拡大とは、最良の投資先なのでは?ということは、金もってる小規模事務所は、規模を拡大してさっさと大手になっちゃえばいいじゃないか・・と反論する人もいるかもしれません。
ですが、有効な投資先が、規模拡大だけではないのはどの業界でも同じですし、投資を控えて、タレントの所得や儲けに回したいと思っているところもあるでしょう。また、大手になりたいと思ってる事務所は、とっくに金をつぎ込んで大手になっている、あるいは大手に拡大中なわけですから、こういった事務所は小規模事務所の範疇には入らなくなります。小規模でありながら金を持っている事務所というのは、金を持っていながら、あえて規模を拡大しない事務所ということです。この辺の話はまた後で・・本題に戻ります)




記者は、タレント一人頭に対して、ヨイショがいくら・と歩合でやっているのではないでしょう。若し記者が、100人タレントがいる事務所に買収されたとしたら、売れっ子かそうでないかにかかわりなく、その100人のタレント全員をヨイショするでしょう。紙面にのる頻度は二日にいっぺんくらいになるでしょう、効率は抜群に良くなります。そして、買収されている記者も自分だけではなく、全体の数割を占めているとしたら、ますます効率は良くなります。
買収に投じた資金に対して、相対的な効果は大きく、資金的な体力があって、なおかつ大規模な事務所であれば、絶対に”やり得”な手です。


しかし、弱小、小規模事務所でも、記者を買収するメリットはあります
タレントが不始末をおこしてしまい、ある記者に弱みを握られ、なおかつ、その記者がだれかを特定することができた場合です。その記者が、何からの弱みでももっていれば、もみ消しの買収をするかもしれません。これは、メリットはあります。


これは、事後処理的、個別的、あるいは火消し的な対処策といえます。軍事的な言い回しを使えば、国境警備、対ゲリラ警備のような、敵が出没してきたら、その都度撃退するといった逐次的防衛策とでもいいましょうか。これは規模にかかわらず、どんな軍隊でも敵がきた以上、やらなければならないことですし、規模にかかわりなく必要であることといえます。軍隊と同様、事務所にも同じことが言えます。これだって、大規模ならば有利なことに違いはないのですが、タレントの数が多ければ不始末の数もそれに比例するでしょうから、当然、出費もそれに比例して多い、規模にかかわらずタレント一人頭のコストは同じなわけで、ある意味平等であるともいえます。

しかし、このような、ある特定のスキャンダルにたいして、特定の対象に対策をするといった、対象を絞りこんだ事後処理とは違い、マスコミ界に隠然たる影響力を及ぼしたいといった、事前処理、予防的処理である、いわば軍事的に言えば”じゅうたん爆撃””火力制圧”である場合、小規模な者の攻撃効果は加速度的に減少します。相手がでかくて、なおかつ仕掛ける側も大した物量を持っていないとしたら、暖簾に腕押し、やっても焼け石に水。こういったことをする場合、爆撃と同じく、やるならとことんまで、そして、数をそろえないと効果がない・・というわけです。ここで大手と弱小の差がついてしまうわけです。




ハテ?弱小など、みんな合併して大手になっちゃえばいいじゃないか・・バーニングはそれをやっている・・・そうでない弱小のところは非常に苦労している・・バーに入るのがどうしてもいやなところはあるだろうが・・だったら、バーニングではない弱小のところも、対抗策としてどこかのカサの下に入るか、あるいは弱小同士が全結集して、ひとつの集合体を作るかすればいいではないか・・・・ある事務所が一人の記者を買収したら、”その記者の擁護範囲は、その事務所が所属しているグループ内の、すべてのタレントに及ぶべし・・”などと確約させれば、数のメリットが生きるではないか。どうしてそうしないのだ?









巨大勢力ひとつ+弱小勢力多数という状況の場合、弱小は、巨大勢力の、個別の切り崩し工作などをうけて、誘惑に耐え切れず合従してしまうところがあります、弱小勢力がすべて結集した場合、必ず巨大勢力以上の規模になるはずだから、弱小は結集した方が絶対得である・・といって、足並みそろえてすべての弱小勢力が巨大勢力に対抗できる一枚岩になれるわけではありません。諸葛公明も悩んだように、企業活動や、政治史や中国の歴史でも紐解いてみれば、そこらへんの感覚はだれしもつかめると思います。芸能界も同じことです。巨大勢力であっても内輪の派閥争いはあるでしょうから、要は、互いの結束力の違いの問題であるわけです。第一、合併すれば、今まで堅実な仕事をしてきた企業は、業績の悪い企業に足を引っ張られて、損してしまうこともあります。何が何でも、大きくなることがすべて良し、ということは、いえないというわけです。


巨大勢力は結束がある、それ以外の弱小同士は結束が無い、しかし、その結束のなさが、弱小同士で競争しあうフィールドに置いては、よき競争、切磋琢磨が生み出され、芸能のレベルアップに転じるという、いい傾向を生み出します。


それは、消費者を含む芸能界全体にメリットをもたらします。レベルアップ競争によってタレントの質が上がった弱小事務所は得をしますが、当然敗者もいるでしょうから、全体としては、巨大勢力がシェアをへらさない以上、勝者の数だけ敗者がいて、弱小世界全体の損得は同じです(芸能界のレベルアップによって、芸能界に興味を持ち、金を落とす消費者そのものがふえ、パイ自体が増えた場合は、得が増えたといえるでしょう。競争世界に身をおいて、お互いよかったね、ということです)。


これが弱小同士のフィールドではなく、芸能界全体の傾向だったら、全くもって理想的な世界なのですが・・残念ながら弱小同士でレベルアップ合戦、ゲームでいう、”スライム叩いて経験値稼ぎ”して、レベルを高めた”弱小競争世界”が消費者のシェアを拡大して、大手がレベルにおいて相対的に劣りはじめ、消費者のシェアを奪えなくなり衰退・・滅亡。なかなかそういうわけにはいきません。弱小世界どうして、激烈な自由競争をしているということは、弱小同士の結束力がないということでもあり、当然それに比例して、巨大勢力の切り崩し工作は容易であるといえるからです。



地方勢力がお互い競争しあう地方分権の封建主義は、中央集権に比べて、国力の増大に害がある存在であるとはいえない。しかし、ある強大な勢力の脅威がせまってきて、それに一丸となって対抗しなければならなくなった場合、決して強い存在とはいえない。これと同じです。内部での競争力をとるか結束を取るか、間を取るならどこをとるか・・・このジレンマは、明治維新やECの歴史を見てみればよくわかります。芸能世界でも、おなじことがいえるわけです。



2004年07月21日(Wed)▲ページの先頭へ
予想される反論 その2

1>お前は、バータレはすべてごり押しで、
逆に、一方的に非バーは圧迫を受けているという
だが、その反対もいえるのではないか?
たとえば田中麗奈だ


TBSプロデューサーの伊藤一尋、植田博樹などは
ここ数年、メインのヒロイン役を
内山理名、広末、柴咲らで、ほぼ独占している。
これは、田中のような有能な人間を排除する、
いわばカルテルのようなものといえなくないか?


いくら、CMで人気を博しているとはいえ、
田中が、この強力なカルテルの中に、はいっていくことはできない。
それで、田中の仕事は、CM、映画オンリーを余儀なくされている
これは、お前の言うこととは逆に
田中が、圧迫を受けているといえなくないか?


おまえは、

彼女達の持つ
プロデューサーとの強力なコネは、
世間の人気と、本人の実力を率直に反映したものだ
反面、田中は彼女達のような人気、実力や実績がないから、出られない

と反論するだろう。


だが、どうしてそう決め付けることができるのだ?

田中はテレビでの実績が無いというが、
カルテルによって、映画に追いやられている田中が、
ドラマでの実績がいつまでたってもつかないのは
あたりまえではないのか?

とにかく、ドラマでの実績を持ち出すと、
勝ち負けがあらかじめ決まった、不公平な勝負にしかなりえない。
この論法から行くと、はじめから勝負させてもらっていない田中が
負け確定なのは当たり前。


これらをかんがみるに、どう考えてみても、田中は、
内山、広末、柴咲たちにくらべ
相対的に弱い立場であるとしか、いいようがない。
それを、田中は、バーの強力な力で彼女達を圧迫しているなどと
どうしていえるのだ?すべて逆ではないのか


2>バータレ出演作は駄作ばかりだというが、

 ”バータレは実力、人気がなく、
 製作陣にさじを投げられている・・・”
 というわけではなく

 ”バータレは実力はあっても、事務所に力がないから、
 有能なスタッフをつけられず、
 駄作にしかなりえないのではないのか・・”
 と、こういうふうにもいえるのではないか?


作品のレベルは、基本的に製作者の問題であって
駄作の責任をバータレ個人に
一方的におしつけるのはいかかがなものか


そうすると、おまえは

 バーでも有能なスタッフがつく時もある
 それにもかかわらず、駄作がおおい、

 理由は
 彼らは有能ではあるが、”バーだから”士気低下をおこしている
 バータレは、製作者の意欲を沸き立たせる存在ではない、
 つまり、バーは、実力が認められていないのだ。

と、反論するだろう



だがそれは
めちゃくちゃ恣意的だ。結果論にすぎない。

同じ製作者でも
いままで失敗続きでも、優秀な作品を作り出しはじめた人間は、有能になり、
いままで有能だといわれていても、駄作を作り始めた人間は、無能になる。
こうとしかいえない。個人がいつまでも優秀でありつづけるわけではない。

世間で評価の高い製作者がいたとする
非バーで優秀な作品を作りつづけ、バータレで駄作を出して
また非バーで優秀な作品を作り、復活する
これだったら、お前の論は正しいといえる

が、野島信司でさえ、これを成功させていない。
バーも何も関係なく、単に彼が無能になっただけだ。

たとえ同一の製作者であっても
作品のレベルにばらつきがある以上
製作者には責任はなく、
彼らの士気を高めることのできないバーが一方的にわるいなどと
いえないのではないか?


無能になって、彼に力が無くなったからこそ
力の無い”バー”に、やっとお声がかかった
ともいえてしまう。

非バー作品に、駄作が一切無い・・
優秀だといわれている製作者に、駄作が一切無い
とはいいきれない以上、


とにかく、作品が駄作なのは、
製作者、出演者どちらの責任に帰するのかは
究極的には判断がつかない。


結論として
バーに駄作がおおい理由として
”バータレが所属している事務所が弱いから
優秀な製作者に、かれらを押し込むことができない”
という推測を、完全に否定できない以上

バー出演作品のレベルの低さの責任は
バータレ本人のみに帰する・・

などと、一方的に決め付けることはできないのではないか?









もしかして、これって正しいのかな?
うーん。どうなんだろう



今回のドラマの
観月ありさや加藤あい、なかなかよかったしなぁ・・・

内容も
共同テレビ製作らしいが、
クラシックじゃんじゃんのWBと対照的に
思いっきり、しっとりとした
TBSテイスト前面に出してるし・・・
もしかして、時代は変わったのだろうか





>>時代は変わったのだろうか???


おまえはどうしてそんなことがいえるのだ?
時代なんか、最初から変わっちゃいない
いままで、そうおもいこんでいただけだ


もともと長い目で見れば、バーと非バーのレベルの差など無い。
最近、たまたまバータレが作品運に恵まれていなかった、
反対に、非バーは好調であった。
ここ数年、その傾向がつづいていただけだ。
それが、本来の姿に戻ってきたというだけだ。


構造的な問題などという
大げさなものではなく、誤差の範囲内
可逆的な、一時期のちょっとしたトレンドに過ぎない


おまえは
いわばダーウィンの取り上げた、蝶の工場暗化の例を
自然淘汰であると拡大解釈したようなもんだ。




こうくるだろうな。

きりがないので、これはおいといて・・



つづきは、またあとにするか




2004年07月20日(Tue)▲ページの先頭へ
予想される反論

予想される反論を、あらかじめまとめておいて
それにたいする反証をあげてみようかと思いまして・・・

というわけで
多分、こうくるだろうなぁ・・というものを
2、3あげてみました




その1>これって、すべて、お前の主観ではないのか?
自分の主観と、世論がマッチしていないから
マスコミはごり押しだのといっているのではないのか?



ウタダや広末は実力で、小柳や井川遥はごり押しである





我々が、その理由を説明してみろと聞かれれば、
実際に演技を見てみろ、歌聴いてみろとお前は答える
でも、それってあくまでお前の主観ではないのか?

その人なりの主観で、
ウタダや広末を不快だと思ったり下手だと感じる人も
逆に、バータレをみてうまいと思う人もいるかもしれない

自分の主観しか認めず他人の主観は認めない
これはダブルスタンダードではないのか?


そして、それが実は少数であるというという証拠も
実は無いのだ。

マスコミの煽りに相反して、
非バーを支持する声は、実際は多く、
バーを支持する声は、実際には少ないのだ
こういったことを実際に証明する材料など、何一つ無い



そういわれれば証拠の無いお前は、
大衆のバカさかげんを持ち出すだろう
自分はバカではなく、認めない大衆がバカであると


そして世の中には、のせられやすいやすいバカが多く、
自分みたいな利口者は少ないのであると


大衆はバーニングシフトのメディアに騙されてるバカが多い
味音痴ならぬ芸能音痴が世の中には多い
その反面、自分は流されにくい利口者である。だが現時点では少数だ


だが、これも、
主観のみで証明になってない。


客観的に証明しろと言われれば
おまえはどうせ、個人の直感をすべて否定したら
先に進まず、何も実証できないだのと、
イギリス哲学と大陸の合理哲学の違いとかを持ち出すだろう
でも、こんなもの決着がつかない、堂々めぐりになるだけだ。
だからお前が主観を持ち出す限り無駄だ。





主観で勝てないとわかれば、論理性を持ち出すだろう


どう読んでも、マスコミの、
バーを持ち上げ、非バーを叩く論理的な根拠は薄弱で
反対にバー擁護の掲示板投稿などは、論理的に整合している・・




しかしそれにしても、
お前はダブルスタンダードを決め込んでいるだけだ


バーニングのヨイショ一辺倒の、マスコミの論調を
一方的に論理的に無理がある、煽りであると決め付け
非バーニングヨイショの、掲示板の意見は
論理にかなった、正しいものであるという


バー擁護、非バー叩きだって、
もしかして理にかなったものかもしれないじゃないか
マスコミが煽り工作で、掲示板がそうでないと
どうして証明できるのか?証拠があるのか?


いや、実際に非バーを叩く人間もおおい
おまえはそうみとめざるをえなくなる。
でも、言い逃れとしてまたもやこういうだろう


俺みたいな一部のオリコウサンと違って
世間の大部分を占めるバカな奴らは、影響されやすい。
マスコミに影響をうけて、バーをヨイショする、
非合理を受け入れてしまう
マトモでない体質になってしまっているのだ

と、これまた同じだ


だが・・・

じゃあ
掲示板の、非バーの過剰なヨイショに”汚染”されて
過剰にバーを叩いているやつだっているかも知れないだろうが
そういう人間のほうは、合理的思考を失っていないマトモな人間で
だが逆に掲示板に”汚染”されず、バーを擁護している人間は
洗脳でおかしくなってる非合理な奴らだって、
どうしてそんなことがいえるのか?





掲示板なんて所詮サブカルチャ−、メジャーどころを否定した
斜に構えた立場の方が受けがいいにきまっている。
ただ質が低いからマイナーにとどまってるものをもてはやしてるだけだ
で、鼻につくメジャーをたたいているわけだ、
そのメジャーがバーニングってわけだろう。
それって、ただメジャーな世論と、逆なだけじゃないか


そうするとおまえは、
日本はだめだ、海外に目を向けろというだろう



日本のマスコミに影響されない、海外の反応を見てみろ
バータレは全然人気が無い、反対に非バーは・・
どうだ、これがマスコミのフィルターの無い、真の選択眼だ・・と。


でも、どうしてそんなことがいえるのだ

非バーが、ただ海外人の、平均的な好みに
マッチしていたというだけではないのか
非バータレは国際的な平均に近い、汎用性の高いタイプ
バータレが、人気が日本国内限定、つまり特殊タイプ
つまりどちらかというと日本人好みのタイプが多い・・
ってだけなのではないのか
日本人特有の好みのタイプをインチキだといっておいて、
汎用性の高い、いうなれば毒にも薬にもならないタイプをもてはやすのは
日本文化を見下していることになるのではないか・・・


お前は、
反対に、バータレはどう見ても、国際標準っぽい感じであり
非バーの方がより日本的な感じであるというだろう
だから、有利な立場なのにもかかわらず
バーが売れないのは実力が無いせいだ。反対に非バーは・・・・



だが、それも
バータレを否定する理由にはならないのではないか



海外の人間は、日本的だからこそもてはやしている
とも考えられなくはないか?
反面、国際標準なんて、世界にはいて捨てるほどいるから、
ハリウッド女優などとキャラがかぶり、需要はそれほど無い。
だからバータレはオリジナリティが少なく、
国際的に人気がない・・と
これが正しければ
バータレが海外で人気がないことは
バータレを否定する理由にはならない



また、こうもいえるのではないか?

欧米並に進んだ国である日本は、
こういった、ハリウッド的堂々とした女優の、
国内需要が高いのは当たり前で、
これはこれで、別に非難すべきことではない。
むしろ、日本の先進性の現れであって
しかもハリウッド女優を向こうにまわして、堂々と渡り合っている・・
健闘していると、誉めてやるべきなのではないのか。
と・・・・



お前はどうして
こういった、日本的な女性をもてはやす
海外人の特殊な事情を
途上国特有の後進性だといって批判せず
何故に、真の人気をあらわしたものだなどというのだ?




ここらへんでやめとくか





つづきは後ほど



2004年07月18日(Sun)▲ページの先頭へ
バーニングが何故いけないのか?

一時期(2001半ば頃から2003初頭頃まで)非バーニング系の、メジャーの人たちがいっせいに叩かれ、シェアを落とし、かわりに、彼らに取って代わる人物の台頭を望む雰囲気が、世間にかもしだされました。


世間は時代遅れの”オールドウェーブ”の彼(女)らに飽き、”ニューウェ−ブ”の、全く新しいタイプのキャラクターを望んでいる。あるいは逆に、その伝統的な”ポジション”に、相ふさわしくない人間であるので、そのポジションには、新たな人物をつけさせるべきである・・と、こういった雰囲気です。なんとなくわかるかと思います。


オールドウェーブというのが”旧来の伝統的な価値観に基づく、異性支持の多い典型的な女優、アイドル”

ニューウェ−ブというのが”これからの時代にふさわしい、渋谷などを震源地として台頭する、女性上位の時代にふさわしいキャラクター””不景気に、皆が疲れている時代にふさわしい、成熟した癒し系”

伝統的なポジションというのが、”今をときめくCMクイーン””日本を代表する歌姫、””国民的女優”などです。しかし、これらのレッテルは、真実をあらわしているわけではありません。


女性の地位向上の要は、どんな業界だろうと、成熟イメージだろうが未熟だろうが関係なく、その女性の持つ、職業的な技術力以外にはありません(他の要因をしいて言うならば、”託児所”の存在)。つまり、芸能人で言えば、演技力や歌唱力といったものです。
例をあげれば、何の技術もない、人並みの人間が宇多田ヒカルと手を組んで商売したとても、おそらく何のメリットも無いでしょう。どんなに彼女に協力しても、それがセールスの向上には直結せず、当然、貢献度もゼロ、利益の中から自分の取り分を訴えることができず、ほとんどの利益が、彼女のところにいってしまうでしょう。消費者は”次の歌の出来栄えはどうなんだ?、うまく歌いこなせるだろうか?”などと、彼女の技術のみを求めているわけで、他は、全く利益と関係ないからです。というわけで、彼女と商売するうまみも、彼女がバータレになる理由もありません。技術を持つものと持たざるものの関係の、当然の帰結です。



歌の世界以外でも、おなじことが言えるのです。


一見矛盾しているようですが、どんなに”バリバリキャリアウーマン役の似あうイマドキの女”をアピールしても、その役を演じる技術が当人に全くなければ”芸でなくオンナで勝負している”と蔑まれます。逆に、”バカな男が支持するような古臭いタイプの女の役”というイメージを持っている女性でも、そのイメージが、彼女自身が、そういった役を演じられるという、技術の賜物であったとしたならば、”オンナでなく、技術で勝負している”と賞賛されます。技術とイメージは違うのです。同性には好かれるイメージではないかもしれないが、エンジニアとして社会で一本立ちできる、優秀な女性。同性に好かれるイメージながらも、社会で勝負できる技量を持たず、パパの愛人としてしか生きられない女性。この違いと同じことです。この”パパ”が、誰かさんに該当するわけです。


女性の地位がどうのこうのいっても、社会の個人に対する需要が、本人の持つ技術によるものであるかそうでないか。結局、これがすべてだといえます。男に好かれそうな技術も職業的なウリにでもしていれば、それもひとつの技術のうちですから、銀座のトップクラスのホステスは、社会において技術で勝負している、キャリアウーマンといえます。芸能界も同じです。


バーニングが問題なのは、この、”イメージと実情の逆転現象”です。バーニング内で、その”イマドキのイメージ”にもかかわらず、芸能界を、ルックスを含む、当人そのもののポテンシャル=技術で勝負している女性はほとんどいません。


イメージや役柄は旧態依然だが、実情は技術で勝負しているキャリアウーマン
イメージはキャリアウーマンだが、実情は技術でしょうぶしていない、旧態依然の女性


イメージと実情はなるべくリンクさせるのが理想・・という立場をとれば、両者とも批判の対象となりますし、実際はインテリだった渥美と寅さん、本当は小心者だった本人とジョン=ウェイン、あるいはモンローの例を持ち出すまでもなく、イメージと実情は、全く別の物だ、こう割り切れば、どちらとも批判できません。ですが、実情は望ましい状態だがイメージは望ましくない、実情はとても望ましくないが、イメージはのぞましい、どちらが健全といえるのか・・といわれれば誰しも前者をとるでしょう。これがバーニングの問題ともかかわってくるわけです。現状は、視聴者が必要以上にイメージにこだわるのだから、バーニングも、必要以上にイメージにこだわってしまう、視聴者が現状に全く拘泥しないのだから、当然、バーニングもこだわらず、実情をおろそかにしてしまっている。


バーニングだろうと他の事務所だろうと、事務所をとりまく条件は同じじゃないか、何故、他事務所を含まないのだ・・


現状では、実情の貧しさにもかかわらずイメージで勝てるのはバーニングだけなのです。ですから、ほかはあえて挑んでも”負け確定”の市場であるイメージ戦略で、積極的に勝負をしていない※のです。ここで、”イメージはバーニングの独壇場、実情は非バーニングの独壇場”という、極端な二分化がおこってしまっているわけです。


※初期の売り出しにイメージ戦略を多用するのは、バーだろうと非バーだろうと似たりよったりです。しかし、非バーは、売り出しという初期の目的を終えたとたん、すんなりと実力勝負という次のステップに移行します。この移行が、バーニングには全く見られないのです。移行する際の必要な実力というものをはなから持っていないのですから、したくてもできないのでしょうが、結局、このために、相も変らぬイメージ戦略をしつづけ、”30過ぎても、何のウリも無いアイドル扱い・・・この人、一体何者なの?”と世間に訝しがられる、モラトリアム人間を生み出すことになっているのです。このモラトリアム人間は、バー以外にもわずかながらいますが、自然に淘汰されてしまうので、残るのはほとんどがバータレのみとなります。




多くのバータレは、その、ルックスを含む技量を周防氏にかわれたわけではありません。たとえばバータレの整形前の写真がやたらと出ていますが、思わず納得してしまう事例ばかりです。”外見は芸能の実力のうちに入らない”と言い切れる問題ではありません。確かに技術ではないかもしれませんが、ルックスは、”当人が持つポテンシャル、消費者が金を払う要因=個人の生産力”つまり英語でいうタレントのうちにはいるからです。


(これ以後の説明は、バーニングがこだわる”キャラ””ポジション”とはなんぞや?という、最初に掲げたテーマとずれるかもしれませんので、この二つのテーマは、後ほど、別なところで取り上げたいと思います。とりあえずのテーマは、なぜバーニングは”タレント”を買わないのか、そしてどうしてそれがいけないのか?ということに絞っていきたいと思います)


なぜなら、売れた原因が、整形によるもので、さらに、それが、周防氏に認められた後のことで、出資も彼によるものであるならば、タレントは事務所に、何一つ発言権がなくなってしまうからです。”整形費用をだしたのも俺、お前が売れたのもそのため、つまりタレント性とは、すべて我々が施した後天的なもの。お前の潜在的なタレント性を買っていたわけではない、嫌なら出て行け”こういわれれば、タレントは搾取を容認するしかありません。もし投資が回収できてなかったら、”出て行け”が”出してやるものか”にかわり、この強権発動により出て行くことさえできません。まさに事務所に足元を見られ、自由や発言権を奪われている、置屋かタコ部屋状態といえましょう。ですが、もし整形が必要の無いルックスと、素質や才能がもとからタレントに備わっていたのならば、このような状態にはならないはずです。


かといってバーニングは、所属のバータレに、技術を身に付けさせてるようにも見えません。こんな奴に高い教育を施したところで、どうせ無駄だと諦めているのでしょう。つまり彼の目的は、タレント性もないので、当然権利も無い、よって”元値”の低いタレントを、相対的に安く使い、その割には相対的に高額な仕事をとってきて、その差額で利益をあげることなのです。
もとから技術がある人間を雇う、あるいは、これから教育する価値があるような、素質ある人間を雇う場合、雇う側は足元を見られます。そういう人は成長が早いだろうし、いずれは独立されたり、ヘッドハンティングの脅しを受けて昇給を飲まざるをえなくなったりするからです。

安く仕入れて、高く売ること自体は、何もまちがっているわけではありません。元がたいしたことない人間でも、高い技術を持てるようになるといった、高度な教育ノウハウを事務所が持っているならば、話は別です。そういった事務所ならば、”お前が高い技術を持てるようになったのはうちの高度なノウハウのおかげなんだ”と、タレントの足元を見てもいいでしょう。ですが、そもそも高度な技量というものは、事務所内だけではなく、芸能界全体に通用するはずですから、結局は、素質や才能が元からある人物と同様、技術を身に付けられたとたん、離脱のほのめかされて、逆にタレント側に足元を見られてしまうのは、もとから素質のあるタレントを抱え込んだケースと同じです。

それを防ぐには、初期の契約の有効期間を、なるたけ長期間にしてタレントを縛るしかない・・しかし、自分に芸能の自信があったり、事務所同士の争奪戦になるくらいの優秀なタレントであればあるほど、こういった拘束を嫌うはず・・・逆に、そういった契約を喜んでする人種というのは、能力も無い、誰かに守ってもらいたい、安定志向の公務員のような人間だけです。こんな性根のタレントは、芸能界では間違いなく無能です、絶対に大成しないでしょう。




しかし、これはある意味宿命です。芸能界全体に通用する、高度な技量を持った人物がたくさん出てくることは、事務所の苦渋とは別に、芸能界全体にとって、あるいはまわりまわって消費者全体にとっても、大きなプラスとなります。つまり、タレントが自由に”持ち運び”できる技術、知名度というものは、ある種、所有権が個人に所属しているもの、あるいは芸能界全体が所属する公共の財産というべきものであり、芸能事務所とは、人材の養成という目的をとった場合、会社利益とはリンクしなくなり、矛盾した存在になるのです。これは一般社会によく見られる、社員研修のジレンマと同じです。


結局、こういうジレンマが存在しながら、”仕方ないけど、だからといって、自分のところだけが、人材育成を放棄するわけにはいかない”と、それぞれの会社が割り切って、競って、社員(タレント)に、高度な教育をほどこしている業界は、逆に健全といえるのではないでしょうか。芸能界では、そうはなっていない。バーニングの成功により、育てない”使い捨て戦略”が、成功戦略になってしまった・・・・と。


せっかく投資した人材育成費が、”逃げて”しまう・・・事務所側がこの矛盾を断ち切るには、タレントへの投資が、逃げない物であればよい、つまり、施した教育、宣伝などの投資が、一切他の芸能事務所に通用しないものであればいいわけです。

教育は絶対に逃げる。これは自明です、じゃあ宣伝はどうか?
これも逃げてしまう投資の一種といえるかもしれません。タレントにとって、事務所が自分に莫大な宣伝費を投じて、世間への知名度を上げてもらうという行為は、芸能界全体に通用するものです。ですから、これも、今まで自分になされた教育、経験の蓄積と同様、他事務所に持っていけます。事務所を移籍しても”持ち運び可能”な動産です。



通用するのは、タレントが所属事務所にいるときだけ、他では通用しない、つまり、タレントが”夜逃げ”する時、全く持ち運びのできないような”不動産”とは、いったい何か・・


世間に対して、”瞬発性、一時性”が高い宣伝は、タレントが持ち運ぶことができません。


事務所が、即効性のある、カンフル剤的な、”一過性の仕掛け”を連続してタレントに行う力がある。これは、短い期間で世間に飽きられてしまい、跡形も無く残らないので、タレント側は、他事務所に持ち運ぶことができません。後には何も残らないということは、タレント個人に、何も蓄積されないということですから、蓄積されていない物を他に持っていくことはできないわけです。

会社の持つ”売れる仕掛け”は、会社の金庫に、カギがかけられて納められている・・とでも表現しましょうか。当然、夜中に忍び込んでも持ち出し不能であり、タレントの自由な移籍は抑制され、彼(女)らの所得も伸び悩むわけです。


カギのかけられた金庫の中身というのは、タレント一個人の技量と切り離された、ごり押しできる事務所の強大な政治力であり、瞬発的な宣伝力、実情は大いに異なるのにもかかわらず、大衆をまるまる錯覚さすことのできる、巧妙で圧倒的な事務所戦略などであるわけです。

巧妙な事務所戦略といっても、線引きは案外難しいかもしれません。たとえばスマップは、個人のもつタレント性と切り離されてはいない可能性があります。

”女性や少年少女が男性に求めがちなキャラ需要の典型を、5タイプに分類し、それを一グループ内で完全にカバーする、”荒野の七人、ガッチャマン、ゴレンジャー”のようなキャラクターとして売り出して成功した・・”

というのは、ジャニーズ事務所のものではなく、彼ら個人のタレント性に所属するものかもしれないからです。これは、彼らが、まだジャニーズから独立をしていないので、所有権がどっちに帰属するか、まだあきらかにされておらず、どっちともいいようがないからです。


このキャラクターが、スマップ個人個人の”素”あるいは”芸”であり、彼ら自信の所有するものであれば、スマップがジャニーズから切り離されても、この戦略は生きます。ですから、そうだった場合、これはスマップ5人の所有物か、あるいは会社所有のものであっても、”盗み出し可能”な動産である・・・といえます。彼らが、たとえジャニーズをはなれても、世間の彼らにたいするキャラクターイメージが依然としてなんのかわりもなければ、これが証明されるわけです。逆に、彼らがジャニーズを離れたとたん、ジャニーズが何も妨害工作をせずとも、世間にそのウソがばれ、ボロが出てしまうのであれば、このキャラクターというものは、ジャニーズの宣伝戦略にしかか過ぎないものであり、彼らの持つ”素”や”芸”と全く無縁の存在である。なおかつ、それは彼らの所有物ではなく、ジャニーズ事務所の所有物であることが証明されるというわけです。また、重かったり、厳重にカギや防犯装置がついていて、スマップの5人だけでは、自由に持ち運べぶことができないシロモノであったのだ・・・とたとえることができます。


夜中に工場に忍び込んだスマップの五人が、ジャニーズ社の工場の床に、コンクリートで、でんと据えつけられている”スマップキャラクター戦略製造機”という重たい機械を持ちあげて盗みだそうとしても、ピクリとも動かない。独立をたくらんでいた彼らは途方にくれる・・・たとえてみれば、こういうわけです。金庫にしろ機械にしろ、カギ、防犯装置、あるいは盗んだ後に、お前らは盗人だ、訴えるぞ!という危険性というものは、出る側が、会社とかかわり無くなったとたんに、出る側にもメリットをもたらさなくなる”自動装置”というべきものといえるかもしれません。まあ、普通の会社でも同じような事例はたくさんあるので、わかりやすいといえば、わかりやすいといえます。


”訴えられる危険性”とは何ぞや・・・・機械が軽くて、防犯設備もなく無防備状態で、持ち運びが容易なものでも、タレントが、盗んだらトータルで損だという状態を作っておいて、盗難を予防するのも、ひとつの手です。盗人タレントに対して、バッシング攻撃、仕事を干す行為などにより、そのタレントが持ち出した財産を帳消しにすることができるくらい強い事務所であれば、この戦略が取れます。盗むもんならぬすんでみな、後がどうなってもしらないぞ!ということです。これは、普通の人でもわかりやすい感覚でしょう。



事務所をでたとたん、今までの積もり積もったボロがマスコミに出され潰される。あること無いことかかれて打撃を受ける、仕事をホされる・・・


このような行為に対する弁護として、大手、弱小に限らず、事務所は、タレント個人には莫大な投資をしている。事務所がその投資を回収する前に、他に移籍することは道義違反である。これを許すと業界全体のモラルハザードや地盤沈下をもたらす。だから業!界!全!体!がペナルティーを科すというのが不文律となっている。と、よくいわれますが、果たして本当なのでしょうか。


業界全体とは、タレント個人を含めた、業界で働くすべての人間ではなく、すべての芸能事務所でさえもなく、バーニングとジャニーズのことです。他は入りません。っていうか、やろうとしてもできません。業界全体の自分の力の割合など微々たるものですので、干すことなどできないからです。これは、国際社会=米ソ二カ国のこと、他は範囲外という、かつての冷戦時代の状況と全く同じです。彼ら二組織は、アメリカが世界の警察官を自負するかのごとく”業界秩序の守護者”を自負しているわけですが、他のモラルは何一つ守護していません。ですから、本当は守護者でもなんでもありません


ジャニーズは違いますが、そもそもバーニング自体、”他事務所が利益をあげる前に移籍を促す”という道義違反を頻繁に行っているのですから、自分のとこだけはやられたら困るが、他はやってもらわないと困る・・という、見事なダブルスタンダードをやっているわけです。結局、何一つ業界全体のモラルを守護していないわけです。いわば、法治主義でなく人治主義的とでも言いますか・・


よく考えてみれば、タレントに対する投資の補償は、引き抜く側が、引き抜かれる側に、それに見合った、移籍金を払えば済むことです。スポーツ界、都市部の区画整理など、どこの世界でもやっていることです。


ですが芸能界ではそうはうまくいきません。株価操作で同じことをしたら逮捕されるくらいの、不正な”移籍金操作”が堂々とまかりとおっているからです。

タレントの人気など、株価以上の水物です。何とでも操作できます。しかも、罰せられることはありません。バッシングや仕事干し行為などで暴落させて、タレントを安値の移籍金で買い叩き、買った後に根を戻すことなど、メディアを握っている事務所であれば造作の無いことです。これを頻繁にやっている事務所といえば・・・・もうおわかりかと思います。よって、株式相場以上の不正がまかり通ります。すべての人が納得する、適正なタレントの価格などつけようが無いのです。







話をもどします

結局いえることは、バーニングは、タレントの商品的価値という、半ばタレント個人の持ち物であり、業界全体にプールされた、半ば公共的な物ともいえるものを、自由に社外に持ち出されたくないがために、厳重にカギをかけておきたいだけなのです。それが、他に持ち出せないものである・・というところがミソです。それが、=厳重なカギとなります。カギというより、鎖とでも表現した方が適当かもしれません。


つまり、もともとタレント性が低いゆえ、事務所にたいして強いことがいえない弱い人間にたいして、事務所にリアルタイムに所属していなければなんの意味も効果もない(つまり出たとたん無意味になる)、”時間的、距離的に限定された瞬発的なブーム”または”やすいけど安定した職”などの、何かしらの付加価値を与える。その交換条件として、タレント個人の自由を奪う・・前金と自由の拘束の交換条件にも似た、この置屋的な拘束が、すなわち”第一の鎖”ということです。そして前に言った、離脱以後の、バッシングや仕事干し行為などの、タレントの離脱時のデメリットで、タレントの逃走意欲を防ぎ、身柄をさらに鎖で縛っているわけです。つまりバーニングのタレントは、二重に鎖で縛られている状態なわけです。そして、バッシング、スキャンダルなどのマスコミ操作により、自分の所属でないタレントの移籍金を、どうにでも操作できるという、世界の資本を牛耳るユダヤ資本も真っ青の”伝家の宝刀”があるおかげで、その威光は芸能界全体に及び、バーニング以外の事務所にも所属しているタレントをも縛っているというわけです。

この、移籍金操作で作られた、芸能界全体を縛っている鎖が一重、バーニング内の鎖が二重、というわけです。これが、芸能界の実情です。バーニングの鎖だけなら、バー以外の勢力には関係ない話だし、バータレに対しても、”あなたたちはわかっててそこに入ったんだから、我々はしったこっちゃないよ”・・・と気楽に構えることができます。しかし、外の鎖があるせいで、そうのんきなこともいってられないわけです。
バーニングのタレントは、バーの”二重の鎖”に、あえてつながれることによって、”この芸能界全体をしばる、外の鎖”からは開放されるわけですから、タレントを縛る鎖は、最小でも一重、最大でも二重といえます。というか、この二つの鎖の要はマスコミバッシングですから、同じものといえるかもしれません。表現はなんにしろ、なんとも厄介なしろものであるといえます。




バーニングの威光は、それだけではありません。タレントに比べて、人気のうちで、個人の技量に占める割合が多そうな、ミュージシャンの世界でも同じことをやっています。
バーニングは、知的財産という、どう考えても、前述した、タレントの技量と同様である、個人と公共に所属する権利としか思えないようなものを、他から”買って”います。建前では奪っているのではなく買っているのですから、かわりに”売って”いるものがあります。それが、タレントが自分の組織に所属することでしか発揮しえない”事務所の政治力のかかった大きな仕事””宣伝を使った瞬発的な売上”であるわけです。またもや、囲い込んでカギをかけているわけです。

”政治力、瞬発力”を売り、ソフト財産を買う

もし、それが等価交換ならば、”鎖”や”カギ”のような拘束ではなく、れっきとした商取引です。タレントの世界よりも、選択の余地が多いので、ずいぶんと自由で公正のような気がします。が、実際はどうなのか・・・





バーニングと結託することにより、売上が伸びた。契約した甲斐があったと、双方は満足した。そのソフトが売れるわけは、バーの強大な政治力の賜物だ・・これだったら、政治力を使おうがなんだろうが、前述したように、それは公正な商取引と同じく、お互い特をする等価交換=トレードであり、カギや鎖のような拘束でもなく、略奪や泥棒でもありません。


がしかし、己の政治力というものは、バーニング以外の勢力を排除できるほど強力なものであって、バーニングがこの政治力を使って、自分と関係を結んでいないソフト(音楽コンテンツ)製作者を妨害したのならば、”お互い特”ではなく、”そうしなければ損である状況に皆を追い込んだ”ということで、明らかな不正で、タレントのケースと全く同じです。不正の実例は、チャート誌における出荷の不正や、あるいはタレントとおなじような、マスコミ媒体によるスキャンダルやバッシングがあります。結局やっていることは、タレントの世界と全く同じというわけです。某世界一儲かっている企業が、それで大問題になっているわけですから、同じことを行っているバーニングも、当然、咎められなければならないはずです。



結局、役者やタレントの世界にしろ、音楽の世界にしろ、このようなことが、いままで公正な業界で、いきなり横行し始めたのならば、起こされる訴訟は年に百件以上、訴訟は連日新聞をにぎわし、とっくに、社会的な大問題になっているはずです。その例が、グレイの一件程度しかないのですから、この業界は、元から腐っているとしかいいようがないのです。



ソフト産業といえば、もうひとつ重要な物があります。海外へ売り出すことのできる、日本のコンテンツの問題です。これは音楽だけではありません。日本のドラマ、映画なども、外貨を稼いでくれる、有望な輸出品目です。そして、それに”乗っかっている”日本の役者達も、日本にとって、きわめて大切な商品です。


たとえばポケモンなどのアニメ、これなどは、日本経済にとって、貴重な外貨を稼ぐ重要な産業です。このアニメ業界に、優先的に輸出されるべき、優秀なコンテンツのセールスが妨害され、かわりにとても売れそうの無い、とんでもない駄作が輸出品目にプッシュされるというような不正がまかりとったとしたら、輸出額全体が減少し、アニメ業界、ひいては日本全体の不利益になります。こんなバカなことがおこらないため、業界も政府も、公正さに極力務めています。昔の家電分野の、”冷血なまでの公正さ”などは、プロジェクトXをみるまでもなく、日本人なら身にしみてかんじとっていることです。ですが、ですがですが!!!

日本の芸能コンテンツは、いまや、アニメと同じくらい重要な外貨獲得資源になっているにもかかわらず、この公平さがまったくありません。例をあげますと、ある国に対して、日本を代表する女優を、親善大使として優先的にPRしましょう、と決めたことがありました。その国の人たちがそのタレントを知れば、タレントに付随する、出演作、代表作などのコンテンツに、自然と興味がわきます。われわれが、ハリウッド俳優などの人間を、こういった機会ではじめて知ったとき”この人はどんなコンテンツを持っているのだろう?面白いのであれば、みてみたいなあ・・”と、まず思うでしょう。これと同じことです。これは、万国共通の心理です。そのコンテンツが、輸出に耐えうる優秀なものであれば、相乗効果で、タレントの出演コンテンツも売上を伸ばし、外貨を稼ぐことができます。ですから、これは大いなるチャンスに違いありません。ということで、政治的なお飾りといえども、PR効果がたかいこのポジションに、どうせなら、ソニーやトヨタと同様、優秀なコンテンツを所有している、いわばブランドを所有しているタレントを据えるべき・・この意見に、誰も異論はないはずです。しかし、なんと日本の代表たる親善大使サマは、その派手な外見に相反して、売るべきものを、何一もっていなかったのです!


これでは、みすみす外貨獲得のチャンスを逃しているようなものです。親善大使という効果的なポジションに、セールスすべきものを何一つ持っていないような人物を据えるなどという、どうして、こんな国益に相反することをするのでしょうか?


ホンモノのタレントは、そんなものには依存せず、自然に売れるからいいんだ。そんなもの、そんなものに頼らなければ売れないような、チンケな連中にゆずってやればいいんだ。だから、お互い干渉せず、それぞれ最善な方法だから、いいのさ・・

しかし芸能マスコミの状態を見るに、相互不干渉どころではなく、お互い干渉しまくっています。そして、それぞれ最善の方法でもありません。海外の人間から見れば、この日本の状況は、公正な競争をして輸出力を高めているわけでなく、おたがい足の引っ張り合いの無益な潰しあいをして、自滅しているように見えます。なんてバカな連中だ・・・まあ、我々は相対的に得をするからいいんだけど・・・こう思っていることでしょう。現に、海外での、日本コンテンツの吸引力は、2001年以来減少しています。


何故2001年なのか?この数字に、何の意味があるのか・・もしこの2001という数字に”!”と、敏感に反応する人であれば、これは肌でわかっているひとです。いままで散々とりあげてきましたが、なかなか賛同してくれる者がおりません。たとえ短期間だろうと長期間だろうと、こういった物は、実際に見て、きいて、肌で感じた人でないと、理解できないものなのかもしれません。ですから、実感のない人にどんなに説明しても、無駄なことなのかもしれません。


結論としては・・・

そんなこんなで、民間の有志+弁護士が集まって組織をつくり、不満のある芸能界の人間ならば、誰でも、そこに提訴することができるという、芸能裁判所というべきものを作りでもしないと、こういった問題は、永遠に解決しないのかもしれません。法的拘束力はないが、そこでのやり取りは、マスコミの格好のネタにされるでしょう。結果はどう転ぶかわかりませんが、こういった組織を作ることにより、芸能界の風向きを変えることは可能かもしれません。


2004年07月15日(Thu)▲ページの先頭へ
両班階級と広澤草

広澤草は、AV女優としてデビューしながら、引退の後、女優の道に転じ、
ライオン先生の生徒役として、オーディションを受け、合格しました。
しかし、撮影中に元AV女優であったことがばれ、事務所は謝罪しました。


ここで問題なのですが、何故事務所は謝罪しなければならなかったのでしょう?彼女が元AV女優であることが、あるいはそれを隠していたことが、何故いけなかったのでしょうか?

オーディション側が、彼女をAV女優であることに気が付かなかったのですから、彼女の、AV女優としてのネームバリューなど、ゼロに等しかったと考えられます。それでいて広澤は受かったわけですから、彼女は、純粋に実力で合格者の座を勝ち取ったわけです。何故、彼女は責められなければならないのでしょうか?

それは


採用側にとって合理的選抜を保証するには、ある程度履歴書が真実でなくては困るのです。究極的には、受験者、採用者、双方の信頼関係の維持にかかわる問題だったといえます。この場合、採用された彼女の、実力は関係ありません。

AV女優でも優れた演技力を持つ者はいるかもしれないし、それが、彼女を拒絶する理由にはならないはず・・・

しかし、彼女がAV出身であるということを隠したことはとがめられるべきだ。そして審査側が、たとえAV女優の中に、AV未経験者よりは割合は少ないかもしれないが、演技の優秀な者が含まれていたとしても、彼女の演技を見ずに、AV女優であるという理由だけで審査を落とすことを、咎めることはできない。こう結論するしかないのです。何故かを説明する前に、学歴を例にとって見ましょう



中卒でも優秀な人はいるでしょう、大卒でも使えないバカはいることでしょう。
ですが、すべての受験者に、真の実力があるかどうか、一定の見習期間を与えるなどしたら、選抜のコストが無限に上昇してしまうでしょう。ですから、製品の品質検査と同じように、全部を調べることができない場合、確率を持ち出して、選抜コストを抑えるしかないのです。



大卒 使える奴がいる確率60%
高卒 使える奴がいる確率40%

統計学上
かりにこういったことが言えるならば
同一賃金からのスタートでしたら、採用枠が大卒応募者数より多ければ、大卒は全員合格させて、余った合格者を高卒から取る。少なければ、高卒を全員排除して、大卒の中から選抜する。採用側は、こういった選択をします。
短期間で、大量の人間を見なければならないなど、
採用側に余裕が無く、十分な審査の時間を取れない場合、これが合理的なのです


使えるかもしれない高卒40%は排除され、使えないかもしれない大卒40%の立場は、高卒の上になります。40%と60%、大した違いはありません。しかし少しでも合理的(手間ヒマかけずに)選抜したい採用側は、少しでも、確率の高い方になびきます。そうしないと、きりが無いからです。
人材の真の適正を見極めるとなると、一対一に近い、徒弟制度での見習い期間が必要となるでしょうが、そうすると、多くの人間をみることはできなくなり、かえって、選抜対象の裾野そのものを狭めてしまいます。結局、狭き門である”丁稚奉公候補者を”何らかの、手間がかからない、簡素な方法で事前に選ぶことになります。これではおなじことになってしまいます。結局、一定期間、なるべくたくさんの人材と接触して選抜の有為性を増すか、あるいは一人あたりの時間をたっぷりとるか、両極端をとるか間をとるか、どこで妥協点を見出したらいいのかはわかりませんが、いえることは、質と量はトレードオフに近く、どちらをとっても、結局は同じことだということです。


ですから採用側が”量”で選択の優位性を増そうと思った場合、”今の時代中卒なんて、余程なにかしらの欠点がある可能性が高い”と、解釈せざるを得ないのです。個人にとっては、なんと言う偏見だ!と怒るでしょうが、採用側は差別しようと思っているわけではありません。中卒でも、案外有能なひとはいる、大卒でも無能な人はいる、これは、皆、よくわかっています。ですが、これは、全体としての確率の問題なのです。製品の良品、不良品の品質管理と同様、すべての手間ヒマは、コストに跳ね返ります。採用側が多くの案件をさばかねばならないときは、ごくまれに見られる、個人の特別な事情という例外などに、いちいち構っていられないのです。


こいつは駄目だ・ではなく、こいつはどうかしらんが、こいつの属している集団は、駄目である確率が、少々高い・・というわけです。採用側にとって学歴などは、履歴書で一目確認するのに一秒もかからない。選ぶ側にとって、きわめてコストのかからない、楽なパラメータです。ですからこの”少々”の差は、かなり少なくても有効になりえます。※
●●は使えない、○○は使える
=○○は●●に比べて、使える確率がX%高いので
給与条件が同等ならば○○を採る
ということです。たかがX%の差のためだけに大学まで行くのはめんどくさい、俺はそんなものに頼らずに、社会で勝負できる才能があるんだ、さっさと社会で勝負させてくれ!天才を自認するA氏がそう叫んでも、A氏以外の、中卒の大部分のひとがそうでなかったら、意味がありません。A氏一人の、中卒全体に対する割合などわずかなもの。自分ひとりでは、その確率を、1%さえ押し上げることもできません。とにかく学歴というものは、選抜される側には高コストでも、選ぶ側にとっては、これほどまでに無い、楽な、低コストな選抜手段なのです。これは、言い方をかえれば、自分が負担すべき選抜コストのかなりの部分を、受験やや教育を主催する教育界全体が、かわりにかぶってくれている・・とでもいいましょうか。


”他の中卒がバカばっかりなので変な偏見もたれて、
そうでない私まで同じように見られて迷惑している・・・”
これは
”うちの学校は不良だらけで、不良でない私までも変な目で見られる。”
、某ディスカウントストアの採用方法で問題になりましたが、これと同じようなものなのかもしれません。採用される側は、個人ではなく、あくまで”中卒””不良の多い学校の生徒”という集団の一員として見られているということです。しかし、何らかの集団に属することが不可避な社会的な人間であれば、これは避けられないことなのかもしれません。”AV女優集団”についても、これがいえてしまうのです。
”AV女優になる奴なんて、ろくなのがいない・・・”これは、差別ではなくデータの問題です、それと、常識から導き出される結論でもあります




たとえ広澤が、結果として実力ある者だったとしても、AV女優であると肩書きに書けば、あるいは事前調査によってAV女優であるとわかったら、採用側は落としたと思います。たとえ広澤のかわりに採用したであろう人物が、広澤より実力で劣っていた者だったとしても、こちらのほうを採用しておけばよかった・・と思っているでしょう。何故か?




まず確率の問題があります

元AV女優に、実力のある者はほとんど存在しないのです。
この差は、学歴以上に顕著なものがあります

どうしてそれが言えるのだ?広澤がいるじゃないか・・
広澤は、現に実力が無いとはいえなかった・・

広澤は例外中の例外です。たくさんの人を見なければならない選抜において、ごく少数の例外をとりあげていたらきりがありません。確率論、常識。選抜コストの限界からいって、AV女優という履歴は、書類選考の時点で排除するしかありません。



どうして、例外といえるのか・・統計学的な根拠はあるのか?



たしかにかつてAV女優で成功したものは、”過去には、彼女達に門戸を閉ざしていたわけではなく、広げた門戸の割には、実際に、芸能界で活躍しつづけた人はきわめて少ない・・”という、過去に蓄積されたデータもあるにはあるでしょうが、それがすべてではありません。それが無くとも、演技の素質のある、あるいは自信のある人ならば、そもそもAV女優などやるわけがないという、一般常識から導き出される結論で、十分、AV女優をはねる根拠に足るのです。

どうして、女性として、あそこまで屈辱的なことをやらされてまで、金をもらいたいのだろうか、メジャーになりたいのだろうか、他に道は無かったのか?裸になってまで、カメラの前でセックスをしてまで、金をもらいたかった・・・しかし歌や演技で、少々の技量をもっていたならば、あれほどまでに屈辱的なAV女優の道など、進むわけが無い、他の、歌や演技の道にすんなり進んで、なおかつある程度の実績を、残していたはず。
結局、何の技術も素質も無い、忍耐力もない、そういた人しか、AV女優という道には進むわけが無いのだ・・・データの問題以外に、それとはかかわり無く、普通の人が考えたら当然導き出される結論というものがあるのです。



しかし、AV女優に逸材がめったにいないとしても
結果論としてはよかったのだから
いまさら問題にすべきではないのではないか?
たとえ広澤が真実を書き、落とされ
より実力が劣るものが合格したとしても
そっちの方がよかったなどと、何故いえるのだ?
そうまでして、履歴書に真実をかかねばならないとしたら
これは、AV女優差別ではないのか?




この問題に関しては、さらに、選抜の公正さという問題が出てきます

採用側が量に頼ったばあい、なるたけ選抜の正確さを増すには
受験者が出してくれる履歴書が、正確でないと困るのです
たとえ採用側が、確率上、書類選考で一発で落とすだろうと思われる
受験者にきわめて不利な経歴であったとしてもです
ですから、違反者の実力があるないにかかわりなく、
彼らに何からのペナルティーを科さないと、公平さを欠くことになってしまうのです
いわゆる、しめしがつかないというやつです



しかし、不利な側面があるAV女優という肩書きを、受験者が積極的に書くわけがありません。かといって、採用側が、受験者をAV出身かどうかいちいち確認するなんて、手間の上では不可能です。ですから、もし採用したばあい、その人がAV女優であったにもかかわらず、履歴に記載しなかったばあい、罰則を与えるという”判例”をあたえ、受験側に、”やっぱりウソを書いて受かっても、結局は駄目なんだ・・”と思わせ、たとえ受験側にとって、不利な記載であったとしても、ちゃんと真実を書いてもらうように促して、履歴書の正確さを高めてもらうしかないのです。

こうすれば、調査は受験者全体ではなく、合格者のみで足ります。合格者が実力があることは、AV女優を黙っていたことの免罪符にはなりません。これを認めてしまえば、結果オーライ主義を認めることになり、採用側が受験者に舐められ、いっさい真実を書きたがらなくなり、履歴書の信頼性が低下し、採用側は独自の調査をはじめざるをえなくなり、選抜コストは高騰するでしょう。そうすれば、徒弟制度と同じく、採用の門戸も狭まります。”質”に極端にブレすぎてしまい、AV女優も含む、なるたけ多くの人たちに門戸をひらいて人材選抜の正確性を増すという、量の側面がおざなりになってしまうわけです


まとめてみると


AV女優という肩書きは、多くのばあい、採用側から跳ねられてしまう。

→だから、確実落とされるとわかっている履歴を、受験側が、積極的に書くわけが無い。

→しかし、採用する側は、本人の履歴は、なるたけ真実に近く書いてほしい。
そうしないと、選抜の効率よく行うことができなくなってしまう。徒弟制に近い少数精鋭主義、あるいは私立探偵を総動員した大規模調査体制にでもしなければやってられない。しかしこれでは、かえって一人あたりのコストが上がり、採用の門戸を狭めることになってしまう。

この矛盾を解決するには、細かな調査は合格者のみにとどめ、実力の有無にかかわり無く、真実ではない履歴を書いたものにたいして見せしめの罰をあたえ、受験者のモラルアップをうながすしかない。これが、採用側、採用される側、両者ともに、もっとも合理的な方法であるということです。

AV女優という履歴を隠すことなく記載しながら、なおかつ合格した者ならば、正当なプロセスを経て合格した、ホンモノといえますが、AV女優の肩書きは、ほとんどは書類審査ではねられるでしょうから、こういったケースはほとんど無いでしょう。矛盾しているようですが、ですが、これは、どうしようもないことなのです。

ですから、どんなに生活が苦しくとも、どんな誘惑があろうとも、ゆくゆくは女優として生きたいと固く決心しているのなら、採用者に己の実力を疑われるようなAV女優になんかには、絶対になってはいけない。ということです。


証拠に、出ている女優の演技が目的でAVを借りる人など一人もいません。ですから、その人の演技を買って、AV女優にスカウトする業界人も、AV出演が、演技技術の向上にプラスになっていると考えている業界人も、ひとりもいません。残るは、CM出演や、グラビアなど、他のタレントも行っている、演技とかかわりのない”知名度アップ”の側面ですが、これも、何も、知名度を獲得する手段が、この世にはAV以外にもたくさん存在していて、なおかつAVが最良の手段だといえない以上、彼女は、他のもっといい道を選ぶ自信すらなかった、あるいは選んだのだが、競争がはげしくて敗北した・・と結論するしかありません。
世間には自然に、女優>CM>グラビア>大学生、ミスコンなどの素人代表>>>>>>>>>>AV女優という序列が、自然に出来上がっているわけです。ですから採用側などの業界は、わざわざ綿密なオーデを行わなくとも、これをそっくりと利用すればいいわけです。




AV女優を低い学歴に置き換えても、ある程度同じことがいえます。
”中卒””不良だらけの学校の生徒””AV女優あがり”
結局、他人が、一人の人間を、個人としてだけでなく、何らかのレッテルを貼られるある集団の一員として見るということは、社会的な効率からいって、不可避なことなのです




我々みたいな、教育程度と才能が
ある程度比例する”凡人”は構わないだろうけど・・


そんなことをしたら、”隠れた天才”が潰れてしまうのではないか??
これは、社会全体として、大損害ではないのか??



天才は、本当は教育など必要なく、はやくから社会に出して活躍させた方が合理的なのは間違いありません。天才にとって、現在行われている選抜方法が、合理的でないのはいえてます。ですが”教育程度と才能が比例していない”のならば、だったら、高等教育、就業優先などのサポートを天才に施す必要も、全く無い無いはずです。天才は、最初に就いた職場、最終学歴や教育環境などのスタートラインが、どんなに低かろうと高かろうとかかわり無く、あっという間に成功の階段を駆け上がってしまわなければなりません。というか、そうでなければ、天才とはいえない、天才の定義とは、まさにそれなのだともいえます。


ですから、天才はほうっておけばいいのです。彼らは、選抜方法、環境、教育など、社会システムから逸脱した存在なのです。AV上がりだろうがなんだろうが、そのひとが天才的な才能をもつ女優であったなら、そんなハンデをものともせず、あらゆるプロセスから、たとえば大道芸人さながらに、道端で演技のパフォーマンスでも披露して、その秀逸な演技が話題となり、マスコミ注目されるなど、正統派コースから逸脱したプロセスからでも、成功の階段を駆け上っていくことでしょう。やはり、放っておいても勝手に・・という面では、女優も、他の分野の天才も同じです。

そうでない、凡人、あるいは、せいぜい、高額な教育コストをかけて、やっとこさ社会で勝負できるようになる”秀才”である我々は、謙虚に、”ランク付けが高い集団に属するように務める”ということをしつづけなければならないのです。それがいやなら、自分を天才と思い込み、道端や中学出から、天才たちと真っ向勝負を挑むしかありません。これは、身のほど知らずであり、悪いことである・・というわけではありません。社会には、何も自分の身の程をわきまえた、地道な人間だけが必要なわけではなく、そういった破天荒な人も必要です。”勘違い人間”は、橋の下で一生を終える敗者になる確率も多いでしょうが、人々のモチベーション、競争意識を高め、社会の革新、活性化を促し、そして、あわよくば成功でもすれば、天才としてもてはやされます。社会的には、天才という基準は、先に述べたとおり、結果からでしか測りえないので、”成功した自称天才”と”真の天才”は、究極的には区別はつきません。ですから、成功したものが天才である、失敗した者は天才ではない・・と、社会は、後付けするしかありません。


とにかく、われわれにとって天才とは、どうにも手におえない領域であるので、フォローやケアなどの面で、あまり気にしなくともよい・・という認識でいいのです。ましてや、”AV女優の中に天才女優が交ざっている可能性”など、一顧だにしなくともよいのです。






話は変わって

両班とは、かつての朝鮮において、官僚選抜試験(科挙)の受験資格を、事実上独占していた階級です。”事実上”と入るところがミソです。これが、純粋な社会的階層とはちょっと違うところだからです(李朝末期には、ほとんどとイコールなってしまいましたが、それはおいときます)。
なぜなら、官僚選抜試験は、名目上は、奴隷以外、誰でも受験資格があったからです。
しかし昔の話ですので、労働せずに、長年にわたって、合格できるレベルになるまでフルタイムで受験勉強を続けられるには、経済的なバックボーンが無いものには難しく、合格者は不労所得を約束された、かってに土地内で私税を徴収できる地主、親族が高給取りの官僚などがほとんどでした、というわけで、名目上は受験資格は制限が無いにもかかわらず、合格者には事実上の制限があり、家系の中で合格者を出した数の多い家系、少ない家系の差は縮まる事は無く、地主+官僚=両班と、半ば階級として固定化されていったわけです。







これが、広澤草と、どう関係があるのだ・・・???



あまり関係ありません。
広澤の問題とからめて、名目的には誰でも門戸を開いている・・という、一見公正に見えることが、かえって選抜コストを押し上げて、生産的行動から遊離した、無為徒食の輩を増やしていく原因となってしまった・・今の日本もそうなってきつつあるんじゃないか・・と、偉そうに警鐘を鳴らした文章でまとめたかったんですが、書いているうちに広澤草の内容が、両班と全然関係なくなってしまいました。


無理目でも、いちおう書いとくか


選抜側にとって、選抜コストを無限に増やすわけにはいかない、だから候補者をあるていど絞る必要がある、データや常識において結果が出ている、AV女優、学歴、これらの肩書きである程度判断せざるを得ない。家柄や門閥でさえ、遺伝的なことを考えれば十分判断の根拠にはなる。ましてや昔の話だし・・



だが、AV女優でもいい演技する人はいるので書類ではねてはいけない、低学歴、あるいはバカと評判の一族の生まれでも、有能な奴がいるかもしれない、こうやって例外を認め、無限拡大をしつづければ、一見公平に見える、原則的に多くの人に門戸が開かれた、だが大変高コストな選抜方法を用いざるを得ない・・しかし科挙という、世界一公平と見られる選抜で官僚が選ばれた社会が、果たして理想に見合った社会であったか・・無駄な労力を生み出し、社会全体の必要経費を押し上げ、そのしわ寄せは、結局国民生活全体に響いてしまい、トータルでは社会の活力を奪っただけではないのか・・


ライオン先生オーディションでの、広澤草の一件をとりあげ、この矛盾に迫ろうかとおもったのですが、壮大すぎてあえなく挫折しました。漏れには無理ぽ。


2004年07月08日(Thu)▲ページの先頭へ
その4

”顧客獲得率=リピーター率”を、10%とします。

最初の視聴率5%
(内訳 その人の固定ファン1%=100万人 他の要因でドラマを見た者4%)
次の視聴率5.4%
(内訳 前回の固定ファン100万
+前回、他の要因でドラマを見た400万の10%
=新規ファン40万
+なんとなく他の要因でドラマを見たもの4%=400万)

この方が、なんとなく実際値に近いかと思います。


というわけで、リピータ率10%というのを武器に
この役者の出演作の視聴率は、緩やかに上昇していきます。

この人の場合
多かった”食わず嫌い”が
徐々に”食ってみたら好き”に
一方通行のごとく移行するわけです。


前回の、CM好感度タレントの場合はどうでしょうか


CM好感度タレントの場合、初期においては
”食わず嫌い”は一人もいません
いるのは
”食ったことないけどおいしそうだから食ってみよう”
いわば”食わず好き”です

そして、流れは
”食わず好き”→”食ってみたら嫌い”
の一方通行です。


そこで問題です


今の芸能界
この流れ、どっちの方が強いですか?



落下傘候補 3

次に、今度はまったく逆のケースはどうでしょうか・・

ここに、
イメージはあまりよくなく
日本人のほとんど、一億人に
ネガティブイメージが広まっている役者がいたとします
しかし演技は秀逸で
一度でも、その人の演技を見た人たほとんどの人は
次から、その人の作品は絶対見ようとします。

以下は、前回のCMタレントのケースとだいたい同じです

変更点は、
ドラマを見ない理由が、出演者のネガティブイメージである
つまり、イメージが悪ければその人の出演作を見ない
こういった人が、一定の割合でいる。
これを追加しましょう。

彼女の出演作が放映されました
視聴率は、芳しくありません
しかし見た人のほとんどが、その人の演技に感心し
次からは、その人の作品を絶対見ようという気になります。
しかし、この人はイメージの悪さとは別に
演技の方は見る価値がある
この情報は、実際にドラマを見た人にしかわかりません。

次の作品がオンエア−されました
今度は、前回作で、この人のファンとなったひとが加算され
数字は、やや高めです
次の作品、また次の作品・・・


ということで

3%(300万人)
・・・4%
(前回の固定客300万人+たまたまこのドラマを見始めたもの100万)
・・5%(前回の固定客400万人+・・・)
・・100%
    (累積は、一人の人間が何回も見ているので
    述べ視聴人口は一億以上)

理論的には無限大まで伸びていきますが、
役者生命という、有限な時間との競争という問題もあります
また、メディアでの、”この人はうまい”という再評価の加算と
相変わらずマスコミに頻出する、ネガティブイメージの減算との兼ね合い
あるいはテレビ視聴率の限界、
人間の好みの多様性から考えると
すべての人間をとりこにし、
この人の作品を次から必ず見るという人間が100%という
ものすごい名優は、実質、この世に存在しないことから見て、
視聴率の上昇速度は、理論値より、遥かに緩やかであることが予測されます。
初期値の固定客300万は、明らかに多すぎです。

一億人全員に、ネガティブイメージを払拭するに値する
演技力のある人だ・・という情報が行き渡るのは
結構先のことになるでしょう。




もう少し修正してみます。


つづきます

落下傘候補 その2

というわけで、落下傘候補の性質のつづきです



拉致被害者とCMタレント、少しかけ離れているようですが
似たようなものです。


思考実験です。


ここに、日本人のほとんどである一億人に
名を知られているCMタレントがいたとします。
しかし演技があまりにも下手糞で、
一度でも彼女の演技を見た者のすべてが、あきれ果て
二度と彼女出演のドラマは見ないものとします。

日本人の十人に一人が、タレントを知る機会が
CMでの露出であり、また
ドラマを見るきっかけが
そのドラマに、知っているタレントが出ているから・・
という理由であるとします。
このCMタレントがドラマに出れば、こういう傾向を持った人が
必ず見ます。少なくともかなりの視聴率は見込めます。

彼女の初出演作が放映されました
かなりの数字を取りました
しかし、このドラマを見たもののほとんどが呆れはて
彼女出演の、次のドラマを見ないと決心します。

しかし、彼女が下手糞であるということは
ドラマを見た人にしかわかりません。
世間には、まだ彼女が下手だということを
知らない人が大多数であるわけです。

というわけで、彼女の次の出演作が決定しました。
またもや、CMの露出で彼女を知り
ドラマ視聴は、知っているタレントが出ているから・・
という傾向のひとが、ドラマを見ます。
今度は、前回で、彼女の演技が下手だということを知ってしまった人は
除外されますので、視聴率は前回よりはやや少なめです。

というわけで、彼女の次回作がまた決定しました。
今回も前回であきれはてた人は除外されるので・・・

というわけでまたもや

そうこうしているうちに、彼女のドラマを
すべての日本人が一回見た経験があるようになり
そして、下手だということも
すべての日本人の知るところとなりました

もはや、彼女のドラマを見ようとするものはいません
焼き畑農業のごとく”開拓”しつくしてしまったのです・・・




10%(1000万人)
9%(900万人)
8%




最後には1%
開拓し尽くしておしまい。
違うのは初期値とそれに要する時間です。


CMにつられれみるという”ミーハー人口”の割合が
日本人の十人に一人という例を出しましたが
あまりこの数値は関係ありません。
この数値がどうであれ
いずれにせよ皆同じパターンをたどります

ミーハー人口5分の1の場合
初期値20%(一億の5分の一、2000万人)
・・16%(一億-2000万=8000万の5分の一)
・・12%


最後に0 累積100%(累積視聴人口述べ一億人)

ミーハー人口10分の1の場合
初期値10%(一億の10分の一、1000万人)
・・9%(九千万の10分の1)


・最後に0  累積100%(視聴人口同じ)

実際には、口こみや雑誌の評判などで
この人は下手・・という情報が流れますので
実際にその人の演技を見なくとも
この人のドラマ絶対にみない!という人があらわれます。
これを”マスメディア下手糞情報”とでも命名しましょうか
一方、実際にテレビを見て得た下手糞という情報は
”体験下手糞情報”とします。これらをあわせた値が
”下手糞情報”とします



この”下手糞情報”の伝達速度によって、
累積値は100%(=一億人)を下回ります
初期値が高ければ、落下速度も激しく
(多くの人がみたので”体験下手糞情報”は多くに伝わる)
短期間でゼロに落ち着く・・(1)

初期値が低ければ、(”体験下手糞情報”は行き渡らず)
落下速度もゆるやか、長期間でゼロに行き着く・・(2)


ということになります。

結論としては、タレントがこの戦略を取れば
初期値がどんな数値だろうが、どのくらい時間がかかろうが
結構な人数に、彼女のドラマを見せることが可能です。
限界人数は、日本の人口、一億以下に限定はされますが。



また、実際は、マス情報というものは、
知っている人口にかかわりなく
多くの人数に伝達されますので
”マスメディア下手糞情報”の伝播は
(1)(2)ともに一定です
(1)と比較して視聴率の低下が緩やかであり、
”体験下手糞情報”の伝播速度のおそい(2)は
開拓しつくす遥か手前で限界をみせます。
”マスメディア下手糞情報”の伝播が全国民にいきわたってしまい
活躍期間は1より多少は長いかもしれませんが
ポシャるまでに開拓できた人数は、(1)より少ないでしょう。
(2)は(1)と比べ、相対的に不利となります。




傍から見たこの現象は
一億人すべてに、彼女の演技を見せるのが先か
(すべての土地を最大限に焼き畑し尽くせるか)
あるいは、その前に、”こいつは下手”という情報が行き渡って
誰もドラマを見なくなるのが先か・・
どっちが先か・・という、時間競争とでもいいましょうか。





ほとんどの人が、一回でそのタレントを見限る・・
芸能界に、こんな人材が実際に居たとしたら
よほど下手糞な人材なのでしょうが
そんな人材も、CMなどでかなりの知名度を持っているということで
短期間には、かなりの視聴率を稼げるというわけです。




そしてこれが世間で言われる、
いわゆる”使い捨て”と呼ばれている現象なわけです。









つぎに続きます





”落下傘候補”の戦略

落下傘候補=知名度を武器にドラマの仕事を得る、あるいは製作者に起用されるタレント


この共通点はおわかりいただいたかと思います。

たとえばのはなしですが



現在関心の高い、北朝鮮の拉致被害者達が
ドラマに出演したとしたら・・・・


当然彼らには、演技の経験はこれッぽっちもありません。
彼らがせりふをしゃべったとたん、
場の雰囲気はぶち壊しになるかもしれません。
しかし、もしかしたら、視聴率は50%を超えるかもしれません。
これは、製作者にとって、大きな魅力です。
もしかしたら、このような企画が通るかもしれません。


しかし、ドラマのレベル自体を見たときに、
この企画はいかかがものでしょうか・・
その作品の原作のファンで
話題性ではなくドラマの内容に興味がある視聴者は
たとえこれで視聴率が50%行ったとしても納得しないでしょう。
それ以上に、素人の大根演技は、はた迷惑だと感じるでしょう。


そして、
”こういった人をどこかで使わないと
数字が取れなさそうなので、そもそも企画がとおらない。
だから、ドラマのレベルが多少下がることと引き換えに
この企画がお茶の間にお目見えすることができたんだから
多少のお粗末は、目をつぶってください・・”
製作者にこういわれても、絶対に納得しないでしょう。

そして
このドラマが、たとえ50%をとったからといって、
10%のドラマより5倍優れている。
あるいは北朝鮮拉致被害者は、
キムタクなどは及びもつかない名優である
こんなことは、とてもじゃないがいえません。



別に、50%という数字は、演技で稼ぎ出したわけではない。
ドラマを見たいと思っている人間が
たたき出した数字ではないということです。
話題性という、全くドラマとは関係ないもので稼ぎ出したもの
彼らがなにか興味深いことをしてくれれば
別にそれがドラマというジャンルでなくともよい・・
ということです。








つづきます




2004年07月06日(Tue)▲ページの先頭へ
eienさんへの返信 3

というわけで、つづきなんですが・・


青少年をにやにやとか、芸能だの
わかりにくくなってきてしまったので
まず

貞淑さなどがウリとなりえる、
”青少年にやにや”とはいったい何じゃろな?


ということで、これは擬似的恋愛対象だの、
アイドル的存在などといえばわかりやすいかと思います。
これに一番近いのが、小説などの題材の人物でしょう。
小説の主人公のかっこよさ、清楚さ、
貞淑さにあこがれる・・これは正常でしょう


小説でもいえるのですから、
当然、戯曲にも当てはまります。
ということは、
芸能人たる役者が演じている役にも言えることです。

あくまでも演じているキャラですから、
本人が貞淑だろうとなかろうと
本人がそれらしく演じていれば問題ありません。
本当は貞淑でない人間が、
貞淑らしく演じられれば問題にならないが
貞淑な人間が、貞淑らしく演じることが
できなかったら、大問題です。


ここで、”境界の不明瞭さ”が出てくるというわけです。


本質的に貞淑である人間ならば、
あるいは貞淑な女として過ごしてきた経験が長ければ
貞淑な役は演じやすいと仮定します。
つまり、キャラクタ−に近い役者を
セットアップすれば、ベストだ・・


というわけで、女優の●●さん
今度の役は、貞淑な役に決まりました
ええい、仕事のためだ!
その女優は、キャラと遊離しないため、
浮気相手のエッチをがまんして夜な夜な悶々と・・



なわけないです。



それではプロの役者とはいえません。
普段浮気してようがエッチばっかりしてようが
舞台がはじまったとたん、ココロのチャンネル切り替えて
一瞬にして、その貞淑な役になりきる。それがプロです。


というか、板前や兵隊の役が決まるたんびに
割烹屋に弟子入りしたり、
自衛隊に体験入隊したりはできません。
役柄と同じくらい実体験などしたら、
人生何百年あっても、きりがないです。
映画俳優などは、よくそういった役作りをしますが・・
でも、長期間はできません。
たとえ実体験が乏しくとも、素の自分とはちがっていても
それらしく”なりきる”のがプロの役者です。



結婚のために大学中退を決意して
お前はいつもそうなんだ!とか
あまり稼がない男とつきあって
おまえはあの男にだまされてるんだ!
と田村正和演じる父に説教されたり
妊娠検査薬を見てあせったり
で、竹ノ内豊といっしょに、びくびくしながら
千葉真一演じる父に会いに行ったり



本人がこれを実体験するのは、ずっと後の話です。


ですから、そこに妙なリアリティーがあったとしても
また、将来、いかにもそうなりそうな
先天的資質、兆候がすでに本人にあったとしても、
あくまで”演技”というわけです。これが役者の仕事です。


お前、考えすぎだよ!と思わず突っ込みたくなる
危なそうな少年



本当にブルセラしてたんだから、
あの役を、うまく演じられるのは
あたりまえじゃないか、反則だよ!


貧乏でせつない薄幸の少女
本当に貧乏で・・・・
これも反則・・??


というわけで、私は
中村愛美さんや、窪塚氏を、
リップスティックという
限定された世界のなかではある程度評価していても
全般的な役者として、
100%評価しているわけではありません。
だって、ほとんど地なんですもの・・


反面、
どう考えても、地のキャラとしか思えない
”ストーカー的、偏執的恋愛しかできない少女”
”不幸な幼少時代を送った、幸薄い、かわいそうな少女”
これらを演じながら
他ドラマで、それ以外のキャラで
ある程度、成功しているあの二人は、
役者として評価できるというわけです。


つづきます

eienさんの最返信 2

というわけで・・


1の続きです


昔と今ではちがうのか?



結論から言うと


規模は多少違いますが
今と昔で、大した変わりはありません。
なぜなら、昔も似たようなパターンがあったからです。
江戸時代、かわいいと評判の、茶屋の看板娘
あるいは、売れっ子の芸者さん、有名役者などは
浮世絵の題材にされ、飛ぶように売れました。


この傾向は、たしか大正時代まで続いていたような・・
あの時代も、やはり芸者さんはアイドルでした。


今で言うブロマイド、巻頭グラビア、写真集と
全く同じ性質のモノです。
その人の持つ芸そのものと切り離されて、
アイドル的な扱いをされていたわけです。
(茶屋の娘に、芸なんてありませんし)

股間をいきり立たせた当時の青少年たちは、
ゆくゆくは、十分な稼ぎのある大人となって、
アイドル芸者さんを身請けすることを夢見たり、
お座敷に呼んでみたいとは思っていたでしょうが
でも、それとこれとは別に、
単に、浮世絵やブロマイドをポケットにしのばせ
時々眺めながらやにやにやしていたという
自己完結した世界に生きていたことも確かです。

この心理状況は、
現代のアイドルのファンと、
全く同じだったことは想像できます。

というわけで、さっき二番目に出した
”これは芸能の範疇ではない”
これが当たってるようです。

ウリ、つまり”商品”
=”金を、ちまたからかき集められることのできる
個人のキャラクター能力”というものは、

芸とはまるきり違う物、あるいは、芸の上部構造
芸というモノはウリの中のひとつ
個人の商品的価値=ウリの中に含まれる
ということになります。

あるいは芸とは、職業技術つまり
職人さんの腕前と同じものであって
なおかつウリの一部ともいえる



←(個人の職業的技術)        →|
          |         |
職人の技量 (職能)|芸能人の芸(芸能)|青少年をにやにやさせるアイドル|
          |   ←  (ウリ)→              |


こういう関係が成り立つわけです
仮に”ウリ”を芸能と全く別のものと認識した場合
青少年をにやにや・・=ウリとなり
表はもっと単純なものになりますが
茶屋の娘さん以外の、売れっ子芸者さん、看板役者さんなど、
いまいち芸能と境界が明瞭でない物がありますので
いちおう芸能を、職業的技術の一部兼ウリの一部とします。




続きます

eienさんへの再返信

ここで、えいえんさんに、再び投稿をいただきましたので、答えてみようかと思います。


以前の投稿で、なぜ芸能界に”仕掛け”が絶えないのか?・・
それは、あなたみたいな人がいるから・・

と、多少強気の文章を書きました。じつは少々悩みまして、えいえんさんに、ここまで言ってしまっていいんだろうかと・・・

しかし、今思えば、これでよかったのだと、はっきり断言できます。この投稿を読んで、まさに、私の思っていた、”こういうひとがいるから芸能界って、ああいった作戦を取る人たちが、あとをたたないんだよな・・”と嘆くケースに、えいえんさんが、まさにズッポリと当てはまるからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



これから話すことは、あくまで前提ですから”いや、自分は違う意見だ”といわず、取り合えずそういう前提で話を聴いてください。




芸能人とは、基本的に芸を見せる人です。ですから、道端で芸を披露して小銭を頂く大道芸人と、本質的におなじ立場です。代替可能といっていいかもしれません。
もし、現代のメジャーな芸能人が、道ばたにたって、今やっている自分の仕事と同じことをしたら、小銭が飛んでくることでしょう。
たとえば

”あーウタダさんだ!うたってー”
というわけで、みつかってしまったウタダさんは
ファンにせがまれて自分の持ち歌を歌います。
”ブラボー”なんと、小銭が舞い飛んできて
ウタダさんは思わぬ臨時収入をものにします。チャンチャン


ということで


規模や、見てくれは大層違いますが、
彼女が今やっている仕事も、本質的にはこれとかわりません。
芸能とは、本質的にこういうものです。
(昔は、流しの歌手なんていましたよね)

舞台設備を携帯せねばなりませんので、
多少、大掛かりになりますが
旅芸人の一座も、やはり本質は大道芸人です。
これも、ミュージシャンと同様の性質を持ちます。
現代のすべての役者と、代替可能な仕事です。

そして芸とは
=資本、売り込む商品=なんらかの”ウリ”ということです。



※こういったものに対しての認識は
昔の人のほうが、肌で感じていたせいか、
感覚は鋭かったらしく
プロ野球選手のことを、野球芸者などと呼称していました。
(これはアマチュアリズム、●●道・・といった
スポーツの常道から外れた蔑まれるべき存在だとして
差別していたということのほかに

芸者など、芸を売りにして金を取る典型的な職業と、
彼らプロ野球選手との、何らかの共通したにおいを
感じ取っていたという理由があると思います。
そのころ、メディア経由ではなく、直接見る芸能
たとえば芸者さん、紙芝居屋、落語家、映画弁士などは
まだまだ身近な存在でしたから。)


芸の話に戻ります。
お笑い、笑わせる芝居、あるいは泣かせる芝居、音楽
すべて芸です。
そういった”ウリ”を持っている者が芸能人である。
これは今も昔もかわらない


”ウリ”とは、観客が、ブラボーといって
思わず小銭を投げたくなる衝動を引き起こす”何か”・・・
現代でいえば、
思わずその人が演じているコンテンツを見たくなる、
買いたくなる”何か”
あるいはその芸能人を、
思わず応援したくなる”何か”ということです。




ではえいえんさんが、
”ウリ”のひとつだとおもっている
貞淑さはどうでしょうか
これを道端で披露して、小銭が舞い飛んでくるでしょうか?
思考実験してみましょう


ああ。西田さんだ、なんかやって!
みつかってしまった西田さんは、
自分のウリを披露することに・・

誰かが、かっこいい男性を呼んできました。
男性が、なんともセクシーな踊りを踊り始めました

西田さんは、ちょっと悶々としてきました
しかしこの気持を、必死でこらえます。
周囲の一般の女の子たちは、
どうにも我慢ができなくなって
踊っている男性を襲いかかり、服を脱がせはじめ
いろんなことしちゃいました。素人ですね

最後まで耐え抜いた西田さん
さすがは西田さんだ、
噂どおり、彼女の、貞淑さというウリは、
見るに値するものだった。周囲は感心します。


ということで、
ブラボー!!、小銭が雨あられ、
西田さんは思わぬ臨時収入を・・







なわけあるかーーーーーーーーー








(あくまでたとえ話ですので
怒らないでください

しかし
これで小銭が飛んでくるというのは、
ひなびた場末の温泉の
エロエロショーのみです。
主旨が違います。
ですからエロ目的というのは除外してください)




というわけで、
こんなものは、到底芸として成り立ちません。
ということは、芸=ウリではないはずです。
でも、ウリになってるじゃあないか

現代では、彼女はこれによって、
えいえんさんのようなひとを
思わず応援する気持にさせてしまうのだから

どうして・・・
今と昔とかわってしまったのか?
あるいはウリというもの、
これは、芸能という範疇ではないのか?


芸=ウリでは無いのだろうか・・・






つづきます

聖子さんや明菜さんは  3 説明

>トップの二人を、
一心不乱に凝視している若者達の目を、
新たに、それ以外の、
ぱっと出の名もなき新人に向けさすには
上の二人を超えるくらいの、
それ相当の、
よほど強力なインパクトが必要とされるでしょう。



おかしいではないか


二人で9億のシェア、残るは1億
この1億というのは、聖子にも明菜にも全く関心がない層だ
はなっから二人を
”一心不乱に凝視”なんかしてない。
だから、
多大なエネルギーを費やして
こっちを振り向かせる必要もないではないか?
普通にいけそうなんだが・・・


答え

10億というのは
何らかのアイドルに関心を持っているという、いわばアイドル市場。
選挙の隙間層、無関心層、浮動票とは訳がちがう。
若者でも、アイドル自体に関心がない人間は、市場に含めていない。




当然、聖子、明菜好きでなかったら
とっくに、既存の他のアイドルのファンになっているはず。
市場に三番手がいなかったら、誰のファンでもない
誰かを待望している層といえる。
しかし、あの二人に不満足というのだから
二人を超える、よほど強烈なインパクトがないと
すきになってくれない、わがままな層ともいえる
アイドルに対して一言いいたい、うるさい層
目の肥えた、面食いの贅沢な方たち、
あるいは聖子も明菜も、どっちも嫌いという
ものすごくマイナーな好みの方達であって
そうでなかったら、
とっくに、二人のファンになってしまっているだろうから・・



※前に言ったように、三番手以降は実質採算があわないのだから
赤字のアイドルである。
ある程度持続すれば資金回収できるが、
そうでない場合
赤字のまま消え行くアイドルともいえる)



また質問

聖子、明菜のインパクトとは関係なく
この、ひとことうるさい層”を綿密にリサーチして
開拓すればいいではないか・・



答え


二人のキャラにかぶらせることなく
違う路線でいけということか?・・・

たしかに、市場にだれひとり好みがいなく
自分の好みにあった、誰かしらの台頭を
待望している層。いわば潜在層といえるのだが・・
果たして食いこむのは容易かだろうか??



すでに聖子、明菜という素材が
市場にでているのだ。


そして


すでに聖子、明菜で
複数の、多くのキャラを占めてしまっているのだ。
いわば彼女達は、
オールラウンダーに近いものがあるのだ。

●曲そのものに惹かれる層(20%)
●不良っぽいのが好きな層(20%)
●ぶりっ子好き層(30%)
●皆がすきだというものを
 自分が好きになるというミーハー層(10%)
などなど・・(内はあくまで一例)

これらがあわさって90%になる。
(個人で複数のこのみがかぶっていることもあるので
厳密には足し算できないが)

いわばキャラの”占有”
残されたキャラは少ない。そして市場的な魅力も少ない
それは、二人が取りこぼしたエサ、
食い尽くしたエサであるから、当然おいしくない。
骨と皮くらいしかのこされていないというわけだ。


インパクトとはそういうことだ。
キャラも、市場そのものも、
占有されればされるほど、
後発組は選択肢が狭くなり、
市場に参入するのが魅力的でなくなる。


この二人のキャラではない独自路線を狙おうにも、
そのキャラ自体、残されていない。
この二人の持っているキャラをことごとく嫌う層をねらう
しかし、そんな”ひねくれた”層は、
ごく少数しか残されてはいない



八方ふさがり・・




そういうことだ



この二人とも嫌いで、
なおかつ、新しいアイドルに満足するという人間は
よほど開拓が難しい層である・・と



レベルとは無縁の、単なるシェア占有だけでなく
タレントのレベル的にみても、
突出したこの二人によって
市場参入の障壁が上昇してしまった・・・

いわば、採算ライン、合格ラインが
かさ上げされてしまった・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この二人でピンとこない人は
前のときと同じように
聖子、明菜を、
二人合わせて、アイドル写真集や、
若手ドラマヒロインのシェアの
大半を占有した”広末、深キョン”の二人


あるいは
二人合わせてCDセールスが一千万以上
つまり、”歌姫ポジション”の大半を占有した
”宇多田、倉木”の二人
そして、苦労する、
ポスト広末、ポストディーバと称された後続組
の対比

このように、
イメージをおきかえて読んでみると
なんとなくわかると思う。




解説おわり

2004年07月05日(Mon)▲ページの先頭へ
続き というか・・

とうわけで
非バー(先駆者、追われる者)VSバー(後発、後を追う者)の、
二分された関係が現れる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして
芸能界のポジション=キャラがかぶるフィールドにおいて
非バーのトップ + バーのカウンター勢力が
それぞれ一人ずつ、きれいに並び居座るという、
不思議な現象が起こる。

柔道などの対戦表、相撲の取組表のように・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


池脇と広末ってキャラがかぶってるようにみえるんだけど
二人とも非バーじゃないの?


確かにそうだ。しかも金持ちけんかせず
お互い共演ではフォローしあってウマがあう



でも増幅しあってるような・・
なんか池脇さんて広末を極端にしたような感じで・・



貧乏そうな幼児体系は広末とは相容れないよ。
だからお互いキャラは微妙にずれてるんだよ
上じゃない、下を見ろよ



なんかやらしいよ


同じ体かあ
そういえば田中麗奈って首から下は広末そっくりだな
クビをすげ替えたら気が付かないんじゃないか?
今は、体型変わって違っちゃったけど





クビから上は大違いなんだけど・・



・・・



クビから上はさておいて
下を見て、売れると思ったのか?そんなバカな・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というわけで、後発のバーニングは
けっして”手探り状態”ではない。
”前例”の、先発のトップ連中を、
十分に分析することが可能である。

先発のトップ連中は、
市場リサーチ結果の生き証人。いわば生きたサンプル。
調べ尽くした上で、後続を売り出すことができる。
マーケティングのコストは少ない。リスクも少ない。


しかし、すでに占有された
フィールドを奪取するわけだから、しんどい



だからといって、ニッチはすでに残されてはいないのだ、
だから・・この線でいくしかない。




というわけで、
椅子取りゲームがはじまることと相成りました。


でもこれって、
はたから見ていて、非常に見苦しいんですけど。

もしかして

”聖子さんと明菜さんその2”で


>たとえ、経費が一億以下と見込まれても、
あたりまえですが、残りのものが
談合で一人だけ効率よくデビューさせるわけではなく
複数の人間が三番手を狙ってくるわけですから・・・
とすると、たとえ一億以下の経費でも
複数が、残る一億のシェアの分け合いとなってしまって
当然ながら、一人が奪えるシェアは一億以下、
もちろん経費割れもありえます



ここで疑問





これって、
”後発組は談合でもしなきゃ、やってらんねえよ”
ってことでしょ。
だったら談合すればいいじゃない



してるじゃん





もしかして
それが●ーニングってこと・・・



そういうこと



実力にせよなんにせよ、
圧倒的なシェアを占められた状態では
残されたものたちは必然的に
己の生存本能から、互いに誘引しあう

対抗手段として、結集しがちになる。
それで、己の利益や野心が多少減ることになっても
多少のことでは、文句はいわない。
淘汰されることを、より恐れているから・・・

野心よりも、己の生存が先だ
とにかく、このままでは負けが目に見えている
そして
組織の傘の下に入ることに抵抗がなくなる。


ということで、ジャニーズの圧倒的なシェアの前で
このままでは埒があかないとおもった対抗勢力は・・・


聖子、明菜の圧倒的なシェアの前で・・



広末、深キョンの、圧倒的・・・



宇多田、倉木の・・・




談合だから、無駄なあらそいはせず
効率よく役割分担
同盟内の、お互いのシェアは荒らさず、
それぞれの畑で仕事に専念。
荒らすのは、シェアもってる連中の畑。


美穂さんと静香さんって、
(同じバー系てことで)仲いいんだよね
(男についても、よく話し合って、分担してるんだよね
当然、同じ男をとり合うあうなんてマネはしないよね

とりあうとしたら他の畑の・・・)



田中麗奈ってどうしてドラマ出ないの?
鈴木あみってどうしてあんな下手クソなのに
歌以外の活動で、芸能活動の”保険”かけないの?



お互いの職務分担内で
効率よく”相手の畑”を荒らす。

しかし、金持ちけんかせず
トップ連中の、聖子と明菜が、互いの息の根を止めるまで
相手をつぶしにかかっているわけではない
広末=深キョン、宇多田=倉木も同様。
第一、すでに十分なシェアをもっているので
何もそこまでやる必要がない。

よきライバルと認め合っているか
仲良しか、スルーか


しかし、持たざるもの=後発組=バーニングは違う
奪わなければ自分の生存がおぼつかない


というわけで
実力でシェアを所有した非バーニングの
金持ちけんかせず二人(か南野陽子ひとり)

VS

シェアを奪いたい
同盟内ではけんかせずなんだが
同盟外ではけんかしたいバーニング多数


この2勢力に、完全に分断される。中間はない。


何故中間がないか?


トップ連中がシェアを独占した過程で
とっくに淘汰されている。当然、世の中に出ていない。
残るはこれから世の中に出て行こうとする、後続の連中、
しかしこれも、前に言ったように、
談合せずには生きていけない。
談合すなわちバーニング、



トップ連中は、
”自由競争のフィールドで、実力のみで勝ち抜いてきた”
あるいは”ニッチ産業=まだ
市場そのものがあまり注目されていなかったが、
その将来性をいちはやく見抜いた”
あるいは”冬の時代に終止符を打った”だの
かつての栄光や、牧歌的な理想主義をいまだ引きずっている

反面、トップの対抗手段=カウンター勢力というものと
切迫感が違う。

彼らは、組織優先のための、多少の犠牲はいとわない。
マキャべリスト的な冷徹さ、現実主義の権化。



つづく


南野陽子さんは・・

あまり言い噂聞きませんね・・
どうしてでしょう・・


現在、ゲイバーでは・・



なわけないか、じゃあ、教室

ここで、かつて自分がいた
教室を思い浮かべてください
(これは、聖子明菜とちがい
私の年代は、ややリアルに近いです)

この頃、クラスの人間の大部分は
聖子明菜ほどとは行きませんが
南野さんのシェアが圧倒的であり
他は全くいないとまでは行きませんが
少数の中山派、工藤派が続いていました
(森高、浅香は少し後。

今思い出すと少し大げさかもしれない
もしかして、ダンゴ状態だったかもしれない

だけど、どっちにせよ
南野派が最大勢力だったことは
間違いなくいえていたと思う。)

以下は、聖子明菜時代とは少しスケールが小さくなるが
似たようなシチュエーションが続くわけです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


時代は下って




深田さんや広末さんって・・・


教室なんですが・・
(この頃、私はとっくに卒業していましたので
状況は、よくわかりません。
やっぱり、聖子、明菜状態ですか?
矢田亜希子派、ともさか派、榎本派とかは、
やっぱり少数でした?
というか、いましたか?


その世代の、知り合いの話をきいてみると
なんか聖子、明菜状態に近いものがあったらしいので
一応、ここではそういうことにしておきます。

ですから、違ーう!といって、怒らないでください)



というわけで、
先の文章の、”聖子””明菜”のところを
”広末””深キョン”におきかえて読んでください

ゲイバーの話は、いいたとえが見つからないので
とばして読んでください。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





時代は下らずに(といっても、一年ほど後)
今度は歌の世界にいってみましょう


宇多田さんや倉木さんって・・・


はい、
同じように、聖子明菜を置き換えて先の文章を・・




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というわけで、



いつの時代にも
おんなじことやってるんですね芸能界って




何でみんな気が付かないんでしょうか




主力のファン層が、若いというのもあるのかもしれません
中高生です。だから”前例”を知らない。
一番最近の”前例”があったときは、
まだ物心つかない小学生の時・・・

だから、懲りずに同じ戦略を使えるんですね。



少し知った上の世代だとしたら

”またこれかよ”と、
心の中で、三村風の突っ込みをいれて
少ししらけてしまうんですが・・

聖子さんや明菜さんは・・その2

>>損益分岐点を越えられる
(つまり売り出し費用をこえる利益を出すことのできる)
アイドルの座は最高でも、せいぜい二人。これ以上は必要ない。
というか、三番手以降は、採算が合わない。
実質、売出しは不可能だ。うーん困った




はて?どうしてそんなことがいえるんだ
不可能だなんていうなよ、カンタンにあきらめるなよ・・


デビュー費用が最低一千万
アイドル市場が十億
全員が採算+-ゼロだったら百人デビューできる。が、これは極端な話
聖子と明菜でシェア9億だったら、1億のこってる
残り全部が、採算+-ゼロだったら十人だけど、
一千万儲かるアイドルだったら、五人デビューできるじゃないか
もし採算ラインが三番手までだとしたら、
九千万の三番手が誕生するじゃないか
もし四番手まで許されるとしたら・・



そりゃ、上の二人にくらべりゃ、
こぢんまりとしたアイドルだろうけど
でも、一応は採算合うだろうが
三番手以降は採算合わないなんて
どうしてそんなことがいえるのだ。



というわけで証明


単純計算はこうですが・・でも実際は・・


デビュー費用、これは最低額です。

トップの二人を、一心不乱に凝視している若者達の目を、
新たに、それ以外の、ぱっと出の名もなき新人に向けさすには
上の二人を超えるくらいの、
それ相当の、よほど強力なインパクトが必要とされるでしょう。
(これは、人間心理がはいってきます。
あることに、夢中になっている子供を思い浮かべれば
なんとなく、感覚でわかるかと思います。)

レッスン、宣伝、学費、マネージャー代、交通費、私立高校費用
作詞作曲の費用など、必要最低経費一千万
とてもとても、それだけではおっつかないでしょう。
もっいい作曲家、もっといいレッスンの先生、あるいはふんだんな宣伝費を・・

つまり、
彼女達を押しのけて、シェアに食いこむ可能性は
上に居座る”独占組”のインパクトが強ければ強いほど困難になり
当然、上のインパクトの強さに比例して
これに要するコストも増大してくるというわけです。<1>

しかし、それだけではありません

独占組のインパクトが強い=
=残されたシェアが、少ないということでもあります。
強いインパクトとは、新規参入枠を狭めるほど強い力ということです

50%占有しているより、90%占有しているほうが、
インパクトが強い
=残ったシェアはそれに反比例して、少ない
しかし、%あたりの、シェア奪取のコストは、かえって増大している

ということで、新規参入の枠が狭まれば狭まるほど
コストが余計にかかるともいえるわけです。<2>




残された市場が狭いということは、うまみがないということ
うまみがなくなればなくなるほどコストがかかる
コストがかかるということは・・採算割れの危険性も高いということ
つまり、ますますうまみがなくなってくるわけです。

つまり<1>と<2>のあわせ技で
上が独占すれば独占するほど
残されたほうは、
二乗に比例して、加速度的に、うまみがなくなってくる・・

たとえシェアが一億残っていたとしても
要する経費は、最低でも一億以上・・そうすると無理ですね、

たとえ、経費が一億以下と見込まれても、
あたりまえですが、残りのものが
談合で一人だけ効率よくデビューさせるわけではなく
複数の人間が三番手を狙ってくるわけですから・・・


とすると、たとえ一億以下の経費でも
複数が、残る一億のシェアの分け合いとなってしまって
当然ながら、一人が奪えるシェアは一億以下、
もちろん経費割れもありえます





というわけで、聖子、明菜くらいの独占であったら
採算があう、三番手以下のアイドルを輩出することは
実質、不可能に近いわけです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<<補足>>

”上”のほうも、下と同じく
シェア増大が
二乗に比例して加速度的にうまみがなくなってくれれば
限界効用にぶちあたって伸び悩んでくれる
”創業”も”守勢”も、1%あたりのシェア獲得コストは同じ
どっちも同じように苦労してんだな・・ということで
平等となり、上と下と均衡がとれて、ダイナミックな状況が
かもし出されていくはずなんですが・・・

単純計算ではなく、ここに人間心理がはいってくる。
・・大衆心理、人間行動学・・・
人間の行動には、勢いというものがありまして・・
対象は、アイドルを奉る心理状況、
そして、ましてや若者の行動であるわけで・・

ということで、実際には
すでに多くのシェアを持っているほうが、持たざるものよりも
1%あたりのシェア奪取コストは遥かに少なくて済むわけで・・
”上”が、圧倒的に有利ですな。
結局、他の業界パターンと、まるで同じです。


聖子さんや明菜さんは・・・

聖子さんや明菜さんは・・・


あまり言い噂きかれないですね
どうしてでしょうか・・・



現在、ゲイバーは、大部分が
聖子派、明菜派、どちらかの勢力に属していて
勢力も、完全に二分されているらしいです。
といっても、お互い極端に仲が悪いわけではなく、
よきライバル・・といった関係かもしれません。






ここでいえることは、ゲイバー業界は、
この二人のシェアが、圧倒的であるということです。
(他の勢力たとえば工藤静香派とかは、極小勢力、
あるいは、聖子、明菜派の一部として、
とりこまれているのかもしれません。
これは、よくわからないので類推です。
間違っていたらすみません。)


ここで、かつて自分がいた
教室を思い浮かべてください
といっても、私よりかなり上の年代の方が対象なんですが・・・・



この頃、クラスの人間の大部分は
聖子派、明菜派のどちらかで二分され
この二人が圧倒的なシェアを誇り
他はいませんでした。



つまり、今のゲイバーと同じ状況です。
このころに青春時代を送ったであろうゲイの方々が、
現在の、ゲイバー経営層、客層の主戦力を形成し
新宿二丁目で、全く同じ状況をつくりだしてしているわけです。




このゲイバーの状況、
あるいは、かつてあなたがいた、昭和50年代後半の、クラスの状況



これを、普通の人が見たらどう思うか・・・



他のタレント事務所は困っちゃうよ
つぶれちゃうよ。やってらんないだろうな・・・




年頃の若者達の支持が、この二人だけに集中していて
他が全く参入できないならば、
他の芸能事務所は、全くタレントを売り出すことができず
巨額の費用をかけて売り出したとしても、まったく売れることなく
ずるずると年を重ねていき、そしてひっそりと引退

あるいは、明らかにそうなると予想されるので
売り出し計画さえ見込むことができず、
上の二人がポシャるのを待ちながら
細々と、デビューの期をうかがう・・
がしかし、その気配は全く見られず
またもや、ずるずると好機をのがしたまま
適齢期をすぎて引退・・・

あるいは、
”あなたのタマでは
この二人のシェアの間に割って入ることなど不可能”
ということで、”君は悪くない、生まれた時代が悪かったんだ”
と諭して、デビューをあきらめさせ、
寂しくも、実家に送り返すこととなる・・



どんなパターンにせよ、いえることは


アイドル歴史至上では
そんなに低いレベルじゃなかったのに
多くのさなぎがさなぎのまんま、
一回も羽化することもなく
くすぶりつづけたまま、腐って死んでいく・・
上の二人さえ”蓋をして”いなかったら、
邪魔されずに羽開いて、飛びたてたかもしれないのに・・


ラオウとトキとケンシロウが、同時代に出てきたときに
北斗神拳の指導者が悩んだこと・・
”もしそれぞれが、それぞれ違う時代に生まれていたならば
各々が、偉大な継承者として語り継がれたはずだろうに・・
どうして、同じ時代に・・”
これとおなじことです。継承者は一人ですが


損益分岐点を越えられる(つまり売り出し費用をこえる利益を出すことのできる)
アイドルの座は最高でも、せいぜい二人。これ以上は必要ない。
というか、三番手以降は、採算が合わない。
実質、売出しは不可能だ。うーん困った




ということで、聖子、明菜以外の関係者は


”アイドルの売り出しは、どんなタマにせよ
一定額の、たくさんの費用がかかります。

ですから、はっきりいって商売になりません。
明菜さん、聖子さん、お願いですから
石でもなんでも、けっつまづいて
自らポシャっちゃってください・・・そうしないと商売あがったりです。
あるいは、乗ってた飛行機が墜落しちゃうとか・・”


そう思っていることでしょう。



石にけっつまずいて自滅の道
乗ってた飛行機が墜落しちゃう。

それを気長にまってても仕方ありません。
待っててもそんな状況がこないのなら
自ら、その状況を作り出すしかありません。



というわけで・・・もうおわかりですね。

聖子さんが石にけっつまずかないのなら
足元に石置いてケッつまずかせましょう
聖子さんがそれに気づいて石をよけたなら
草むらに見えないようにわなをしかけましょう
それでもわなにひっかからなのなら・・・




というわけで、聖子さんや明菜さんって
あまりいい噂きかれませんね

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2004年07月04日(Sun)▲ページの先頭へ
eienさんへの返信 その2

eienさんの投稿に対する返信その2です
その1は、この記事の下に書いてあります
そちらの方を先に読んでいただけたら幸いです。
このブログは、ココログやMovable Typeと違ってエントリの昇順、降順の変更ができないようで・・


私が、広末ヨイショの”道具”として、必要以上に”踏み台女優”として貶めていると、そういいいたいわけですね。広末が存在しなかったら、そんなに悪く言うわけではない・・と。


お答えします。


踏み台に使用がしなかろうが、彼女の演技を一目見れば、あれくらい悪く言われてもしょうがないこと。こう思います。ハリウッドなどと比較してみた場合、もっとボロカスに言われてもいいくらいです。これは広末と比べて相対的にどうのこうのではなく、絶対的ということです。あの程度の演技の”自称”女優を、あれほどまでマスコミにもてはやしている国なぞ、他に存在しません。日本だけです。日本のマスコミは世界最低だということは、世界中にとどろいています。某宗教団体、某、共産主義国家に対して、どうしてあんなに遠慮しているのだ???日本マスコミは信頼ならない・・選手に、某宗教団体の信者を抱えていたサッカーの監督は、人選のさいに、その宗教団体信者の選手にきわめて有利な、ひいきされた報道がなされたことに不満を漏らしています。日本で仕事をした外国人ならば、もしかしてほとんどの人間が、そう思っているかもしれません。


話を戻します。


あなたは、”いつもふたりで””僕だけのマドンナで”の、あの長谷川の演技を見て、何もおかしいと感じなかったのですか?違和感感じませんでしたか?”OL銭道””愛するために愛されたい””夢見る葡萄”の菊川さんはどうです?”キャッツアイ”の藤原紀香は?ラブコンプレックスの、木村佳乃と、伊藤美咲のからみは、見るに耐えないひどいものでした。小雪さんも、とても、誉められたものじゃありませんでした。彼女達の演技は、どうです?


彼女達の演技を見て、何も感じませんでしたか?彼女達を、日本が誇れる女優達だと、胸を張って外国の人に誇れますか?どうして日本では、彼女達がそれほどまでにもてはやされているのですか?これを、全く異常と感じないのですか?もてはやされ方は、彼女達より遥かに実績もある、経験もある、当然力量もある、深津さん、松さん、常盤さん、彼女達と同程度か、あるいはそれ以上です。彼女達は、いつから演技の仕事をはじめましたか?一歩譲って、演技をはじめた時期が遅くとも、演技がうまければ文句はありません。でもうまいですか?うまくなくても、実績があればいいでしょう。でも実績ってありますか?深津さん並の実績、当たったはまり役、大ブームを起こしたドラマ、巷でモノマネがはやるくらいに受けた、ドラマ上のキャラ・・



ありますか?



一つもありはしません。



じゃあ、どうしてマスコミは
そんなにもてはやしているのですか?






彼女達は、旬の女優などと、大々的に特集が組まれています。そして事務所と広告代理店、マスコミ同志の、ヨイショの契約が終われば、潮が引くようにブームは去り、跡形もなく消えていくことは自明です。我々は、何度もこの光景を見てきました。連中の飯の種。みんな一過性でえきえてしまうのなら誰もマスコミと結託しない。しかし、こういった”仕掛け”って、たまに成功してしまうんです。だから、成功例があり、その誘惑にかられ、もしや、たいした売りのないうちの○○も、連中に大金払って”仕掛け”をしたら、元手が回収できる以上の、莫大な儲けを手にできるんではないか・・・・と願い、大バクチの誘惑にかられてしまうのです。

そのため、多くのタレントや事務所が”仕掛け”を、電通、主要マスコミ、日テレ土屋P、秋元康、周防郁雄などに依頼したがるのです。射幸心をこれまでもかと煽るバクチですから、わーっとうかれ気分になり、前後を見失う心理状況は、競馬やパチンコと全く同じです。目がさめれば虚無感だけがのこります。




どうして”仕掛け”が、たまに成功してしまうのか?



一つ目の理由
タレントに、ホントに実力がある場合。この場合、マスコミの”仕掛け”とは、ちょっとブレイクの弾みを付けてやった、という程度でしょう。いずれは売れるんだがそれが早まっただけ。助走、手助け程度ということです。これを勘違いして、売れたのはタレント自身の能力にもかかわらず、”仕掛け人”の能力と勘違いして、”大先生”のお力を借りようとする輩が後を絶ちません。そして失敗して消えてゆきます。これは何度も繰り返されたパターンです。(この、成功したのはタレント自身の能力なのにもかかわらず、他の要因に求める・・他にも似たようなジャンルがあります。CM枠、ドラマ枠の相手役などがそうです。○○がこのメーカーのCMで大ブレイク、じゃあうちのタレントもこのCMに出せば売れるだろう・・しかし、さっぱり売れない。○○は●●の相手役で大ブレイク、じゃあうちの××の・・・同じです。バーニングは、こういう勘違いをしょちゅう起こします。そのたびに他タレントは迷惑します。お願いですからやめてください。Iモードがはじめて世に出たとき、記者は7人しか来ませんでした。しかし自社CMに出ていたタレントを、多忙なさなか、引っ張り出すことに成功しました。記者は・・数百人集まりました。あとで記者に尋ねてみると、Iモードなんかはっきりいって、どうでも良かった。広末のネタを拾えるかと思って来てみただけだ・・・

あるブログ記事より


客寄せパンダという物は芸能の実力とは関係ない。確かにそういえるかもしれません。
しかし、他のタレントがNTTCM枠を獲得して、これと同じような状況を巻き起こすことが、はたしてできたでしょうか?坂口が、加藤あいが、同じことをできたでしょうか?広末氏は、芸能能力とは別として、一応CMキャラクターとしての責務は果たしているといえませんか?

話が外れました。”仕掛けが成功してしまう理由”に戻ります。



二つ目の理由です



二つ目の理由とは・・・・


それは、あなたみたいな人が
世の中にたくさんいた場合です。


















eienさんへの返信

よく来ていただきました。
そして、良くぞいってくださいました。
(以下の文章で、eiennobashoさんのことをえいえんさんと表記します。半角切り替えが大変なもので・・私の勝手な理由で申し訳ありません。ご了承ください)


まず、総括的な弁解?からお話します。

 あるトピで、誰かが私を真似したのかはしりませんが、岡沢隆宏夫妻が、乳飲み子を抱えながら、仕事がこないので、経済的に困って、あたふたしている状況を、面白おかしく描写したコント的な投稿がありました。

 私はそれを見てどう感じたかというと、何の怒りも覚えず、反対に笑ってしまいました。このようなユーモアあふれる投稿であったら、アンチ的な内容の投稿であったとしても全く気にしない。いや、むしろもっとたくさんしてほしいとさえ思いました。すかさず、こっちも皮肉を交えたネタをあれこれ考えようじゃあないのさ、そして、その応酬が繰りかえされ、掲示板は隆盛する・・ある意味、理想じゃないの。なんとも、面白い世界じゃあないですか。


 これは、北部リベラルインテリの典型、マイケル=ムーアと、南部成り上がり一族の典型、ブッシュ陣営のやり取りなどで、しょっちゅう行われていることです。これは、ムーアがあくまで商売の種として割り切っているインチキコメディアンで、社会問題に、本気で取り組んでいないというわけではありません、彼が商売を抜きにして、ブッシュのやり口を本気で愁いているのは間違いないことです。

 ですが、アメリカは、ひねりの利いたユーモアへの需要がまことに多い。だから、”彼、マジでそうおもってんの?受けねらいじゃないの?”と疑うくらい、半分ふざけたような、”一ひねり加えた攻撃”をしたほうが、”この人の態度からみて、マジなのは間違いない”と誰しも思う、こぶしを上げて、単調に怒り狂う手法よりも効果がある。そのほうが、みんなはついてきてくれる。アメリカ国民の民度からかんがえて、ブッシュへの打撃にはこちらの作戦のほうが有効である。こう彼が認識しているからでしょう。

 こういった”攻撃”を有効にさせるためには、こういった”センス”に興味を抱いてくれる、大衆の存在が不可欠です。マイケルの”ひとひねりしたネタ”を、面白く思ってくれる層が多数いないと成り立ちません。その層が皆無に近いのであれば、彼は、違う手法、たとえば、単純に怒りのこぶしを上げる手法を使うしかありません。ヒトラー時代は、当時のドイツ国民の傾向からいって、このような、単純な手法が有効であったので、彼ら(ナチス)はこの手段を使ったに過ぎない。当時、もしこの程度の欺瞞にはだまされず、ユーモアを理解するドイツ国民が多数存在したのであれば、ナチスも別の手を使ったことは間違いありません。あるいはあくまで主旨を替えずに、そこいらの泡沫政党で消え行く運命だったでしょう。これと同じことです。

ですが、日本ではこうはなっていない。横行するのは何のひねりもない暴力的な投稿です。


アンチとかいうバカ連中が、自己満足でアレ(おすぎが言ってた・酒井氏が言ってた・・●●顛末記・・・というしつこいコピーペーストのことです)を行っているのであればかまいません。どうぞ勝手に、という気持です。しかし彼らが、これが広末をおとしめるには、最高のアピール方法なんだ・・と思っているのであれば、掲示板読者をバカにしすぎです。みんな、そんなにバカではありません。これは、単純な礼賛投稿をくりかえすファンにもいえることです。お互いがお互いをそう思っていて、お互い趣向を凝らした投稿をする、ユーモア合戦となり、掲示板が、社会のガス抜き的立場となる・・・ここまでいけば、理想なんですが・・・・現状だと、こうはならないですね。皮肉を交えた、なんとも凝った投稿であれば、たとえ反対の主張をしている人間でもおもわず一瞬”うまい!”とおもって、全く不快に感じないのに。こっちも、もっと凄いネタを考えて、対抗したくなりさえするのに・・


というわけで、えいえんさんも、もっと対抗してください。反対の立場である私でさえ、思わず笑ってしまうほどのネタで・・



※おすぎ、酒井氏・・ゲイ、あるいはその噂がある人ばかりです。人権上、あまり言ってはいけないことかもしれませんが、こういった人たちの思考は、かなり平均から逸脱しています。ゲイの人の私生活をとやかくいうべきではありません。それとは別の問題ということです。

ある人から聞いた話ですが、同じアパートにゲイの男性が住んでいて、その上の階に芸能人の卵の女性達が住んでいるのですが、彼女達を目の敵にして叩いているらしいです。管理人にも、上の住人にたいして、しょっちゅう文句をいっている。しかし他の男性の住人については、同じようなことをしていても、全く文句をいわない。芸能人の卵ですから、多分美人でしょう。男性ならば、大体の人が、自分の彼女だったらいいなあと思うくらいの女性達だろうと思います。当然、ホモの男性に大金払われようが、こっちの女性たちに金を・・・・これ以上は言わないようにしますが、とにかく、お目当ての男が取られるんじゃないか。。と、彼女達を”脅威”にかんじて、必要以上にバッシングしていることはおわかりでしょう。こんな人の言うことを、無条件で受け取れますか?
モンローはすでに死んでいます。彼?らがリスペクトしている、銀幕の女性達も同様です。脅威ではありません。しかし、広末は生きています。しかも23歳。

モンローとはタイプが違う、だからわれわれは、モンローは非難せず広末はとやかく言うんだ・・彼らはそう弁解するかもしれませんが、本当でしょうか?もし、モンローがこの世に生きていれば、年頃の男性連中が、みな彼女にぞっこんであれば、多分広末以上にボロカスに言っていたことでしょう。どうしてこのような人の言うことを、皆、間に受けてしまうんでしょうか・・・・アパートの住人のような、生きた実例を知れば、誰もが本気にしなくなるはずなんですが・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
総括的な弁解はこれまでとして・・・



質問がありましたね、そう
1についてなんですが



>@なぜ、芸能人を応援するとき、例えば俳優ならその演技力・作品、歌手なら歌の内容で応援することが鉄則であり他の要素で好きになることがいけないのか?

>@について、例えばモー娘。のファンが彼女達を応援する理由は多岐にわたると思います。歌がいいという人もいればバラエティでのやりとりが面白いという人もいるでしょうし、単純になっちがかわいいからファンになったという人もいるでしょう。しかし、あなたは「通常はその人たちがやっている芸能のコンテンツをみて好きになるんですが・・・」とかなんとか言って私を批判してましたよね。私の@の質問に対して納得のいく説明をしてほしいものです。



お答えします



 なっちがかわいいから好きになった。バラエティーのやり取りで好きになった。別にいいんじゃあないんですか。


 彼女達は、優秀なバラエティー用の人材なのでしょう。バラエティーのやりとりがうまい人材であれば、彼女達が、あくまでバラエティーで活躍することに、異議は申し立てません。


 ただし、それを、他のジャンルに進出する”武器”にさえしなければ・・というただし書きがはいります。”他”ジャンルとは、バラエティーを上手にこなすこととは、全く別の力量を要求されるジャンルということです。これは、かつて他トピで投稿しましたのでそれを読んでください。もし、もっと突っ込んだ説明をして欲しいと言われるならば、後でそうします。


 といってもなんですので、
 とりあえず、今から少し説明します。


 タレント議員という言葉があります。政治的な評論で名が知れている、こういう人は除外します
それとは全く関係ない、知名度があるから、票が取れそうだ・・・これをタレント議員と定義しましょう。

 私は、彼(女)ら”バラエティー用人材”に、これと全く同じにおいを感じてしまうのです。つまり、ゆくゆくはドラマに進出したい、はなっからその線をねらっている・・しかし、最初からその道には、決していかない。AVに出たり、雑誌モデルで名を売ったり、バラエティーでたり、唄をうたったり・・

 若いときは機会がなかったから???がしかし、だったらなぜ劇団に入らないのだ?もしかしてオーでション落ちた??じゃあ敗北者ではないか・・どうしてそんな人材が、すんなり演技の仕事をゲットできるのですか?

 何で彼(女)達は、若いうちの貴重な時間を、テレビの準レギュラーや、モデルのドサ周りなんかで過ごしているのだろう?たしかに麻生久美子さんのような本格派でも、アルバイト感覚でグラビア仕事をしていた人もいます。しかし、写真撮影などは、拘束時間はそれほどでもないし。これはCMも同じことでしょう。だから演技上達の時間は余裕で取れます。しかしながらバラエティーは、どうなのでしょうか??

 たとえばキョ乳タレント事務所に所属して、演技の経験積むまもなく酷使されて、で、最近、やっと演技に目覚めて、演技の勉強をしだしたらしい山田まりや・・お、そうなんだ、なんて偉いんだ山田まりや!じゃあ、幼少から演技していた松や深津はえらくないんかい!彼女達も、山田まりや以上にほめたたえられるべきはずなのに・・・

 けっきょく、タレント議員とおなじなのです。政治家の秘書でも務めて、実績積んで・・そういったことはしない、実績積むより”たとえ政治と関係ない世界でもいいから、名を売るほうが先なのだ・・バラエティー芸能人”もおなじです、女優としてやりたいんだけど、最初から演技をはじめなくてもい。バラエティーで、雑誌モデルで名を売って、はたまたAV女優で名を売って・・それで演技の世界に進出したほうが有利だ(AV女優は極端かも知れませんが)。



タレント議員、AV女優、バラドル、彼らに共通する物、それは、”迂回戦略”です。



たとえマイナーな劇団でも、そういった場所で稽古せず、なんでAVやってるんですか?なんでサラ金CMでてるんですか?なんでバラエティーで酷使されてるんですか?何でグラビア仕事なんか・・・きりがありません。

成功例のない、つまり”ゆくゆくは女優に慣れるかもしれないからそれまでの辛抱だよ、だから生本番がんばってね○○ちゃん”といった、事務所がタレントをつなぎとめしておく方便、つまり嘘っぱちであるAVは除外します。本当に演技の素質があるなら、はなっかたら、そんな屈辱的な道などえらぶはずがない。モデルも、除外しましょうか。なんたって”成功例”がひとつもないんですもの。

だがバラエティー、CMタレント、あるいはそんなに芸達者ではないがなんとなく人気者になってしまったコメディアン。こっちはどうでしょう


彼らにとって、バラエティーなどは、演技に進出できる程度の知名度を稼ぐ手段なのです。
(幼少から演技の実績がありながら、余技としてそういった活動をしていた人は除外します。)


ゆくゆくは息の長い芝居の世界に進出して長いこと食っていきたい。だが、若い頃は実力者に負けてしまった。だから、違う世界で生きている・・はやり廃りの激しい歌の世界、バラエティー、クイズ版番組回答者などで・・・

前に言ったように、CMなどは拘束時間が少ないので、演技の経験を積むこととはバッティングしません。ですが歌番組常連、バラエティー、しかもレギュラーまでいくと、拘束時間は半端じゃありません。演技の実力を向上される時間的余裕は全くないといっていいでしょう。・・・すでに、演技のプロとの経験の差はますます開いてしまっている・・・。だが、そのハンデを吹き飛ばすほどの”知名度アップ”という有利さが、”迂回戦略タレント”にはある。


そういうことを武器にして、演技経験なんて、これッぽっちもつんじゃいないのに、演技のフィールドで、実力、経験すべてにおいて勝っている”プロ”を押しのけて、ドラマのレギュラーをいきなり獲得できてしまう。地元に尽くしたわけでもない、政治的な功績もない。だが、いきなりものすごく有利な地歩から、突然落下してくる・・・選挙の時の落下傘候補とおなじです。

映画通、ドラマ愛好者、こういった人たちが、こういった人たちをどんなにうっとおしくおもっているか・・のんべんだらりとドラマや映画を見ていて、”○○最近でまくってるな、なんかいくねぇ?””うんうん、旬て感じーー”などとバカ話をしているひとたちには、ぴんとこないでしょう。ああ、えいえんさんがそうといっているわけではないですよ、あくまでたとえです。

ああ、この人じゃなくて、あの人だったら”高原にいらっしゃい”を毎週欠かさず見たのに・・だけど、無名に近いので、井川遥やネプチューンのメンバーよりも数字はかせげないよなあ・・・だから起用されない。なんか、腹が立つよなあ・・・・ドラマ自体を見たい人たちは、こう思っています。菊川さんのOL銭道も、そう思っていました。青木雄二の原作、監修モノは、”ナニワ金融道”、”カバチタレ”が凄く面白かったので、惜しいのです。瀬戸朝香、篠原涼子、深津さん、常磐さん、女性人がナニワやカバチ並であったのなら、絶対に楽しめたはずなのに・・・・

まあ、そんなこんなで、現在、ドラマそのものを見たい人というのは少数です。大方は、お目当てのタレントがテレビに出ているというだけで、ドラマだろうが歌だろうが、その露出シーンを見たいと思っている人たちです。ネプチューンなど、バラエティーのレギュラーは、そういった、絶大な支持層を持っています。菊川さんも、連中にちかいものがあるのです。こういった人を当てにしたほうが、無名に近い、演技上手の人を起用するより、視聴率はとれるのです。

これって、ドラマの質を維持ためにはプラスですか?なわけないですよね

この世には、ドラマをまったくわからない人がいます。僕が”愛するために”の話をしたところ、”菊川さん?なに、CMクイーンじゃないの、どうして視聴率取れてないの?”菊川さんは芝居があまりうまくないということを話したら、その人は、菊川さんが下手なことをしらなかったらしいのです。こういう人は、もしかしたら菊川さんがCMクイーンということに興味をもって、菊川さんのドラマを、(最低一回
)見るかもしれません。これは、演技ができて全くの無名のひとよりも、遥かに有利な立場なのです。



そういうことです、それを危惧しているから、私は必死なのです。わかっていただけたでしょうか。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




広末氏や窪塚氏と、菊川さんなどを同じ土俵に乗せて比較対照するときに
どうしても話がかみ合わなくなる要因、”一生懸命””人柄””好感度”について・・・




”バラエティでの振るまいに好感がもてるので、そのひとが好きになった”
こういうファン、あるいはタレントは、彼(女)がドラマに進出しない限り人畜無害な存在です
これは、前にいいました。

しかし、この人はいいひと、腰が低い、一生懸命
このような漠然とした理由でタレントを好きになった場合、話がまるきり別です
はっきりいって、一言いいたい。



これは、私にはうまく説明できないんですが・・
実は、私以外で、これをすんなり説明している人がいました。その人の説明のほうが、よほどわかりやすいいのですが・・・・場所を覚えていないので今はリンクできません。とりあえず、かつて私がが読んだ、その人の意見を参考に、自分なりの意見を組み立ててみました。




はっきりって、そんなことで好きになっては駄目です。



なぜ駄目かというと、それが本当かどうか証明できないからです。





別の言い方をすれば”何とでも工作できる”と言ってもいいかもしれません。つまり、だまされている可能性があるからです
演技ができる、唄がうまい、これは主観が多少入りますが、一応証明できます。


周りがなんと言おうと唄が好き、演技に感動した


こういった自分の主観のみでも評価でも、それは、だまされているとはいえません。
人には人の主観があります、それは否定できない。


しかし、”一生懸命”マスコミにフィルターされた、その人の”人となり”


これは、絶対に証明できません。
断言できます。北野武のように、ゲーゲルの不確定原理など持ち出さずとも、証明できます。

(北野はさすがに良くわかっていて、雑誌で、この学説をもちだして、うまいことこの矛盾を説明していました。芸能人自身も、もしかして四六時中カメラに撮られるかもしれない・と思っていたならば、なにがしかの影響はされるわけで、それが芸能人本人の素の姿だとは、とてもいえなくなってしまう。カメラなどの媒体、マスコミなどの取材、自分は、これらに取り上げられる人間なんだ・・と本人が自覚した時点で、たとえその場でカメラがまわってなくとも、取材人がいなかろうと、本人の素の状態とはかけ離れた状態になってしまう。これは社交的な場に出る事の多い社会人ならば、なんとなく理解できるでしょう。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話を戻して
なぜ断言できるのか、証明できるのか説明します。


ある人を、一所懸命だから、人となりがよさそうだから好きだ
こういう人がいたとします


じゃあ、そういった人に、質問します


一生懸命・・・そのひとが一生懸命だということが、
どうして赤の他人のあなたにわかるのですか?


いい人・・その人がスタッフに謙虚なところを見せている光景を、
あなた自身が見たんですか?
もし、見たとしても、それってその人の真の姿ですか?
もしかしてカメラが回っているから、あるいはファンの目の前だから、
素と違った行動をしている。そういうふうにはいえないんですか?
外面だけで、実際の内面はどうなんですか?
あるいはきいたというのは、それはマスコミ経由の情報ではないのですか?
そのマスコミ経由の情報は、本当ですか?



きりがありません。


結局、一生懸命、いい人・・そんな、あやふやなもの、だれも本当のことなどわかりゃしないのです。ですから、大手事務所が圧倒的に有利な、マスコミ対策、土屋プロデューサーなどに代表される、巧妙な演出テクニック、あるいはアップフロントの社長、秋元康などに代表される”業界仕掛け人”の、巧妙な売り出し戦略が、有効になってしまうのです。結局、そういった”仕掛け”をした人が世間ではいかにもいい人に見られ、一生懸命に見られ、逆に、そういった仕掛けに頼らないで売れた人が、世間ではいかにも一生懸命でないように見られ、いい人にも思われない、そういうことになるのです。

誰も信じずにおればいいものを、信じてしまう人が世の中に多数いるから、こういった”仕掛け”は後をたちません。草薙君が語学で頑張っている・・・こんな宣伝も、彼がジャニーズ以外のタレントであったとしたら、巷に流布させることは不可能です。ノリカ嬢のアフガンは??菊川さんの東大イメージは??結局、同じことです。


こういった、”大掛かりな仕掛け”とは、芸能人の資質、将来性、これとは全く関係ありません。

こういった大物に、大金かけて仕事を依頼するほどにまで目をつけられた、一流の人間なんだ・・十分リスクを回収できるめどの立つ、将来性ある、凄い大型新人なんだ・・・というわけではないからです。本当の大物は、そんなものには頼らず、十分ブレイクする見込みがあるからです。第一、たかが仕掛けのために、帯のレギュラーをひとつもって、多くの時間を拘束されたり、のんべんだらりとアジア横断したり、アフガン行ったり、朝ヤンで朝から晩までカメラの前で露出するほど、ヒマじゃないですし。もし若手であったのなら、若いうちに、やらせるべきことは他にたくさんあります。宇宙開発時代のソ連だって、余りにも優秀すぎる人材は、宇宙に送り出すには惜しい。死んじゃうかもしれないし・・こう思っていたはずです。結局猿岩石もモーむすも、ガガ−リンなのです。

深津は13歳から演技の素養を付けさせるために事務所は必死でした。広末は、14才の無名のころ、映画のオーディションに一発合格し、事務所、監督一丸となって、半ば自伝的な映画を撮らせ、カメラの前の振る舞いに慣れるよう経験を付けさせました。映画界、事務所ともども、彼女に期待していたからです。鈴木や娘のように、のんべんだらりとした、CMなどと比べて、きわめて効率悪い売り出し方法など、たとえ一時期人気が上がろうとも、将来的にはマイナス、時間の無駄にしかすぎない。映画界、事務所ともども、そう認識していたからです。これは松も同様です。学業は、演技で使える、社会人ウォッチングをするための場であって、それを利用して好感度をあげたり、仕事をとりやすくするためではありません。第一、そんなヒマありません。

つまり、真の芸能エリートというのは、そういうものなのです。

事務所、映画監督はじめ、本当に芸能がわかっている業界の人間なら、本当に将来を期待できる人材には、そういう仕事のさせ方をするはずです。反例として、彼女達と違い、たとえば”もー娘”達は、多忙に多忙を重ねていますが、将来にプラスになる素養をほとんど蓄積していません。多分、稼げるだけ稼がせて、使い捨てでしょう。これは、本人たちも、あるいは、ファンの人たちもうすうすわかっていることだとは思います。ですから、お給料はいただけるときに、いただけるだけ頂く。(噂なので、真相は不明ですが、”使い捨てタレント”に対しては、業界では、キャッシュで、実家の店がゆうゆう改修できるくらいが”退職金の相場”とされているらしいです)

もし、長い目で見て有利な、将来性のある経験を積む仕事だったなら、タレントは、給料は低くても納得するでしょう。一生食っていけるような芸能技術を、タダで教育してもらってるようなもの、逆に授業料取られてもいいくらい、濃い経験させてくれたのならば・・・

広末の”20世紀ノスタルジア”松の”大河の淀君”深津の”ハイスクール大脱走”みなそういった”仕事”なのです。”実家の改修”程度のお金を与えて、後は、はいさよならという使い捨ての”パート”と、そうではない、長く使えるエリート”正社員”とを、業界はちゃんと線引きしているのです。わかってないのはテレビの向こうがわの住人だけです。”モーニング刑事””青春バカチン”こんなものと本質的に違うのです。


発注するスタッフも、はなっから区別されています。

例をあげれば

演出家ならば、岩井俊二、堤幸彦>星田良子、

脚本家で 君塚良一、野島伸司>梅田みか。

製作会社では局内製作>共同テレビ、旧木下プロ、旧大映テレビ。

映画原作ならば鉄道員、秘密、世界の中心など、
100万部を超えるベストセラー小説、
あるいは売れてなくとも、映画化の依頼がひきもきらない隠れた佳作>そこらへんの漫画、無名の駄作。


この(>)の右と左の差は、レベルにおいて、絶望的な隔たりがあります。2ちゃんねるでよく見られる皮肉めいた表現


273 名無しさん 2003/10/01

●●と○○の差

  ●●>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
   >>>>>>>○○(プッ)


この表現とまったく同じです。私はそこまでは言いませんが。
メジャーリーグと、日本の二軍以上の隔たりがあります。残念ながら、菊川さんは>の右側のほうです。岡本綾など、ずっと右側から脱却できない人もいますし、ともさかさんのように、”世にも奇妙な”で、方や”ウィルス”方や”友子の場合”という差別を受け、万年右側ポジションだったが、演技力を身につけ、そこからようやく抜け出し、左側に行けたという、希少な例もあります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


またもや話がずれてしまいました
”一生懸命”に戻ります

電波少年に出ていた芸人さん、朝ヤンに出ていた鈴木亜美と、合宿少女(かつてのモー娘)ウリなりに出ていたポケビ。ブラビ、彼(女)らはたしかに一生懸命そうでした。けなげで、ひたむきで、いい人っぽく思えます。


でも、あれって本当ですか?




または、たとえ本当だったとしても、それがどうしたって言うんですか?




本人の舞台裏、そんなもの、彼女のこれから送り出すCDとどう関係があるのですか?



こういった売り出し戦略を全くしていない歌手、
あるいは娘と全く同じ苦労をしているのに、
その姿は、カメラに全く収められずにデビューした歌手、
あるいは苦労してない歌手・・
彼らと、どこがどう違うのですか?




結局、だまし行為なのです。宣伝なのです。宣伝が有効であれば、その媒体を握っている側は、タダでは譲りません。市場原理ではあたりまえのことです。自分の媒体を使って、売上が必ず上昇すると気が付いたならば、いずれは高額な利権(しょば代)を必ず要求します。これはその媒体の維持費ががかかるかかからないかに関係はありません。元でいらずのおいしい媒体であろうと、わりにあわなかろうと、要求するものは同じということです。

とにかく、大金をはらったわけですから、コストを回収するためには、ウソでもなんでもつきます。市井の人々をウォッチングした、ドキュメンタリーではないのです。だまされた、あのときの感動をかえせ!文句をいっても後の祭りです

ウタダ氏は、モー娘のように、その姿はテレビに出ていないかもしれませんが、あれほどのレベルに達するには、大変苦労があったことかもしれません。(といってもリスナーにとってみれば作り手が苦労したかどうかなんて気にしちゃいませんが)じゃあ、なぜ彼らが許せてウタダが許されないのですか?頑張ってないから?証拠は?モー娘のように、テレビで頑張ったという証拠を見せてないからか?なんとなくそう感じるという状況証拠のみ?ウタダは言葉遣いや、態度から考えて、一生懸命じゃない?じゃあ、あゆは?娘は?朝ヤンのカメラ回ってるときの振る舞いなんて参考にはならないぞ、彼女達の、舞台裏はどうなんだ?




絶対に証明できません。




実はタレントも、それを支える作曲者、脚本家などのサポートスタッフも、いいかげんにやっていたとしたら・・・



しかし、一生懸命やっている。がんばっている。思わず応援したくなる。だからいいんだ。



それならば、そんなに一生懸命なのにもかかわらず、何故送り出すコンテンツのレベルが低いのですか?


たとえ低い水準のコンテンツだろうと、やってる当人が一生懸命だったら、手抜きを責められないのですか?
責任を逃れられるのですか?



三菱自動車の整備士は、もしかして整備を一生懸命やってたかも知れません。もしかしてトヨタの整備士のほうが、鼻歌交じりの勤務態度だったかもしれません。しかし、それで、三菱の事故の責任は逃れられるのですか?
まあ、これは極端な話ですが。作品がつまらない漫画家、小説家、皆同じです。芸能人だけが例外だ。どうしてこういうことが言えるのでしょう。みな同じはずです。


ですから、芸能人の人格がどうの、人柄がどうの、ひたむきさがどうのいうのはやめましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は変わりますが
えいえんさんは、かつて、菊川さんが、広末や窪塚とちがい、芸能界を駄目になっても職に困らない人材だということを、ちょっと誇ったかのような投稿をしました。


私は、これが全く理解できなかった。彼女は、芸能界が駄目になっても食いっぱぐれがない、そういわれても、普通の人は?????でしょう。


我々は、芸能のレベルそのものを問題にしているのに・・・・それとこれとは、全然関係がありません。菊川さんは、芸能界を駄目になっても食いつなげるほどの人材なので、菊川さんの芸能生活を応援する・・他の芸能人はそれがないので駄目だ・・・そんなこと、納得できるわけないじゃないですか、矛盾です。誰も納得しないですよ。ある相撲取りが好きで、ちゃんこの腕がいいので、引退しても生活できるという理由で、この相撲取りを応援している。おかしいでしょ?彼の、土俵上の振る舞いと、全然関係ないじゃないですか。


ファンなのに、どうしてこういうことが言えるのだろう?ファンならば、その人が芸能界を去ることを、これぽっちものぞんじゃいないはずなのに・・えいえんさんは、彼女の芸を、末永く見たいとはおもわないのですか?菊川さんの末永き芸能生活を望んでいたならば、そういったパラメーターで、好きな芸能人を誇るべきじゃないのに・・・芸能とは別のことなんかで誇らず、芸能の内容で、菊川氏を思う存分いいと主張すればいいのに。そうすれば文句はいいません。人の主観は人それぞれだ。干渉すべきではない。ですが芸能と全く違うところに持っていかれると、勝負になりません。というか、全くかみ合いません。

たとえば、イチローファンと松井ファンがいて、”イチローはホームランバッターに専念すれば松井よりたくさんホームランをうてるんだ、””いやいや松井だってリーディングヒッターに徹すればイチローなんか・・・”こういったやりとりをしていれば、全く問題はありません。しかし、イチローファンが方や彼の打率やホームランの話を持ち出して、方や松井ファンが、彼の性格的な親しみやすさを比較材料として持ち出して、彼の優位を主張したとすれば、全く話がかみ合わなくなってきます。それと同じことです。




菊川さんが講師でうんぬんの話に戻ります。



確かにファンならば、その人が芸能界にいるいないにかかわりなく、どこかで幸せに暮らしていてほしい・・そう願うのはまっとうな気持です。たとえ、彼女の、テレビでの姿を見られなくなっても、ああ、彼女は、どこかの教室で教鞭を振るっていることだろう・・・そうかんがえただけで、なんとなく安心する、だから、満足なのかもしれません。



しかし、まがりなりにも芸能人なのですから、そんな”娑婆の甲斐性”などの、芸能と無縁の要因ではなく、あくまで芸能の世界で、皆に、なんらかの、思わず応援したくなるという気持をを抱かせるように務めるべきなのでは・・私はそう思うのです。わかっていただけたでしょうか?



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次にいきます
質問2について



>「演技力がないんだから批判されて当たり前」のようなコメントを私にしましたよね
Aなぜ、演技が評価されていない人間はそれとまったく関係のないことで言いがかりをつけられてもそれは当然だとあなたは考えるのか?


考えていません!


Aについて、結局あなたは、「演技がきちんとできないヤツはちゃんとしていることについても言いがかりをつけられたり文句を言われたとしてもそれは仕方がない」と考えているわけですよね。


そんなこと言ってません!

演技力がないんだから、演技力がないことを批判されることはあたりまえです。批判というのは、演技の上での批判であって、言葉遣いだの何だのは入っていません。っていうかどうでもいいです。


演技力がないので、演技とは無縁の言葉遣いが非難される。演技力や歌唱力があれば、多少言葉遣いが悪くても、私生活に問題があっても(ニーズが大きいので、業界に強いことが言えるので)許されるんだ・・・・そんなことは、一言も言っていません。ウタダ氏が、コンテンツの優秀さゆえに何されても許されるんだ、反面菊川さんはそれがないので、言葉遣いの悪さなど、重箱の隅をつっつかれて、非難されるのはあたりまえだ・・・そんなこと、決していっていません!!!


あくまでも”関係がない””それとこれとは別だ”といっているのです。私は、菊川さんの芸がないので、彼女はいろんなことを非難されて当然・・といったことは一回もありません。はっきりいって、芸能人の言葉遣いだの、私生活だの知ったこっちゃありません。


菊川さんが演技がだめなので、”演技の上で”批判されるのは当然だ・・といっているのです。他の、生意気そうだとか、言葉遣いがどうだとか、これは、批判すべきかどうかは、演技とはまるで別のフィールドで語られるべきだ。ということです。菊川さんが演技できようができなかろうが、ウタダ氏と同様に言葉遣いがなってないのなら、ウタダ氏と同程度は非難されるべきだろうし、なっていれば、賞賛すべきだし・・だけど、菊川は大して芸を見せてないんだから、芸を見せているウタダ氏より、最低でも、言葉遣いのいいとこでも見せなければ、対等と認められない・・これじゃごっちゃになって、わけわからなくなってしまいます。


えいえんさんは、ここのところを少しはわかっておられるようですが、他のアンチ菊川の立場の人たちは、全く理解していないようです。ウタダ氏が、コンテンツで90ポイント稼いでいる。菊川氏は10ポイントしかかせいでいない、だから菊川氏は、他の分野、たとえば言葉遣いなどで80ポイントかせいで、言葉遣い0ポイントのウタダ氏より80ポイントリードしなければ、ウタダと対等にならない・・・そんなわけないじゃないですか・・CDのレベルと、言葉遣いなどを、同じ土俵で比べることはできません。


しかし、ここ↓までいってしまうと、話は別です。


東大を出て言るインテリだから、腰の低い好人物だから、演技力ないのを、視聴率とれないのを、許して・


↑それを認めたら、
ウタダさんは唄がうまく、送り出すコンテンツも優秀だから、彼女の言葉遣いを許して・・
この論理と全く同じことになってしまいます。これは到底同意できません。えいえんさんはそこまではおっしゃっていませんが。
証拠に、かつて、コンテンツがすきな芸能人と、個人的にすきな芸能人は別の物であるとちゃんと認識しておられました。”秘密”はお金を出した甲斐があった、窪塚氏の作品もなかなかよかった※・・・と


※だったら、どうして素直に窪塚氏のファンにならないのだろうか・・マスコミのインチキを知りぬいた、私のような人間にとっては不思議でしょうがないのですが・・どうしてですか?


マスコミが垂れ流す情報という物は、やはりぬぐえないものがあるのでしょうか?全然気にしなければ、すんなりと傑作、名作をつかむ確率が高くなり、駄作に付き合わされる確率もおのずと低くなり、ストレスは全くたまりません。えいえんさんも含めて、皆、さっさとそうすればいいのに・・と思うんですが・・・


話はずれるかもしれませんが、一例として・・


インタビューをみて、こういうタイプは嫌いだ、俺の主張とはあいいれない。だからコンテンツを見ない。素人はどうかしりませんが、職業人で、実際に、そんな立場をとっている人は皆無です。みな、それとこれとは別という風に、頭の中で切り替えをしています。渋谷陽一は、ジョン=レノンのインタビューを読んで、シンパシーを感じたから、彼について評論したいわけではありません。彼をそこまで駆り立てる衝動は、あくまで、若かりし日に聴いたレコードの衝撃のみでしょう。実際は、インタビューの世界でのレノンのことは、なんか似非平和唱えててうさんくさそう、俺は嫌いだな・・と思っているかも知れません。それが職業人として、飯の種とわりきった欺瞞ではなく、それでいいのです。


なんだ、渋谷はレノンのことを心底から惚れちゃいないんだ、そんなのは飯の種にレノンを利用しただけの、まやかしだ。。と非難はできないということです。”それとこれ”とはあくまで別のものなのです。僕にとってのリップスティックも、彼(渋谷)のレコードと、同じようなものです。僕は中学、高校時代、ビートルズの熱狂的なファンでしたので、こういった”コンテンツにほれ込む人種の心意気”が、よくわかるのです。


”どうせマスコミを通したリップサービスの面もあるんだろう、彼のような大物が、平和主義唱える連中の期待をうらぎったらいけないしな・・レノンも大変だねえ、でも、これは、いい曲作っているレノンとは別の話、それとこれとは別、おれもレノンも大人同士ってことさ、さあて、レノン論でも書くとするか・・・”とまあ、こんな心境だろうとは思います。ある意味、リップについての出演者や脚本家について、あれやこれやと、ウンチクを垂れているときの自分の心境は、ある意味、これと同じものがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次の話にうつります



作曲家など、個人的な情報などほとんど知られていない人もいます。それでもやっていけています。じゃあ質問。何故芸能人だけが特別なんでしょうか?


一つ目

芸能人は、プライベートも仕事のうちである、だからマスコミとなかよくしなければいけない。だれがそんなことを言っているのでしょうか?芸能人のプライベートで飯を食っているマスコミです。何故そんなことを言っているのですか?そういわないと自分が仕事取れなくて困るからです。だからあんなことをいっているわけですね。自分たちに低姿勢な人たちをヨイショする。反対の人はボロカスにけなす。そういうわけです。小説家、作曲家、漫画家と同様、プライベートは、その芸能の仕事とは、全く無縁のものだ・・こういったコンセンサスが、一般視聴者、リスナーの間に、完全に蔓延してしまったら、誰一人として、芸能人のプライベートなど、仕事と全然関係ない情報に興味を持たなくなり、それで飯を食っている彼らは、一人残らず失業してしまいます。


誰も私にインタビューされたがらない。誰も私に誉められようとして”へいこら”しない。誰も自分たちを、広告、宣伝目的で利用してくれない。芸能人個人の主張は、邪魔されずブログのホームページで文章をアップ、電通や、秋元康、とんねるずなどの歌番組司会者、鬼沢や梨本レポーターの姿は、そこにはありません。


じゃあ将来、いずれは仕事がなくなって、彼らは一人残らず乞食になるのですか?そんな世の中になって、彼らは困らないんですか?困るでしょうねえ。”倉木ブログ”などの影響で、これからは、彼らも、就職情報誌が手放せなくなるかもしれません。



二つ目


芸能人は事務所と仲良くやっていかなければならない。誰がそんなことを言ってるんでしょうか?芸能事務所です。何故?そういわないと自分が・・・これも、答えは同じです。窪塚父、ウタダ父、お父さんが事務所社長、家族経営でちまちまやってて十分問題なく活動できる。芸では稼げなくても、お偉いさん用の、肉体接待用の”兵隊”をたくさんかかえていることを”武器”にした大規模な事務所など、それらと比べれば、維持経費が多すぎてコスト的にはきわめて不利です。皆、小規模なのでマスコミ対策はボロボロでも、でも、効率よく売れてしまっている人ばかりならば、芸能界の大リストラが起こり、芸能事務所の規模は縮小していくことでしょう。芸では稼げなくて、肉体接待要員として食いつないでいる下っ端芸能人などは、存在意義がなくなって、真っ先に切り捨てられることでしょう。大規模事務所も”下っ端”も、困るでしょうね。これからは、彼らも就職情報誌が手放せなくなるかもしれません。あれ、同じじゃないの・・・・


 ウタダさんや広末さん、窪塚さんのような人材の台頭により、こんな時代になったとしたら、彼らはさぞ困ることでしょうねえ。そんな邪魔な人材には、死んでもらったほうが助かるかも・・・これは言い過ぎですかね。失礼しました。

※野沢尚と野島伸司は、よく混同されます。またバー度、オスカー度の極めて低い脚本家というのも共通しています、また、窪塚氏と広末氏、池脇氏は、計算的恋愛が全くといっていいほどできない、やたらと甲斐性無しが好きなど、なにかと共通する性癖がありますので、こういったことに、いささかナーバスになっていますので、言い過ぎをお許しください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

芸能事務所の規模・・・これについて少々
オスカーは1000人近くいるらしいですが・・でもそんなに大人数、養っていけてるんですか?”そんなにたくさんの仕事って、あるんですか?赤字にならないんですか?どうしてそんなにたくさんいるんですか?菊川さん、米倉さん、上戸さんなど、優秀な人材を輩出するためには、それくらいの規模が必要だ・・確かにそうでしょうが・・でも多すぎやしませんか?大量にいる下っ端、ここで、仕事以外で、たとえばモデル登録料、レッスン費用などの名目で、かなりの利益をあげていると考えたほうがいいんじゃないんですか?果たして”上”は、利益をあげてるんでしょうか?こう疑われても、致し方ない。私はそう思うのですがどうでしょうか。

、肉体接待の件にしても、ジャニーズがこういわれているのは、社長がホモというのが最大原因ではありません。規模が、必要以上にでかすぎる、損益分岐点、許容範囲を超えてしまっていると思われているからです。そんなに下っ端を多く養っているメリットがあるのだろうか?もしかして、なんか、”裏のメリット”があるんじゃないの?そういうふうに思うわけです。

ジャニーズは他の事務所と違い、レッスン費は取っていません、寮費もタダのようです。上の人間の稼ぎ出す利益は半端じゃないにしろ、経費も半端じゃありません。だったらなおさら思うのですが、ジャニーズは、あんなに大所帯で、どうしてやっていけるのだろうか?

これは予想が入りますが、ジャニーズ以外の、少年の売り出しをしている事務所を全部かき集めて合体させてみても、もしかして、ジャニーズより小規模かもしれません。それでいて、もしかしたら純益はジャニーズよりは上かもしれません。あるいは逆に、利益も下なのかもしれません。

そこである疑惑がおこるわけです、どうしこんな大所帯を養っているんだ?何故リストラしない・・・大所帯は、社長の好みってだけなのか??
ジャニーズは、営業の面で、なにかしら有利な手法をとっているに違いない・・と
”営業経費”を圧縮する方法は???

カンタンです、”接待費”が、金を払うという形になっていなければ、いくらでも圧縮できます。


もうおわかりかと思いますが、そういうことです。彼らが疑惑の目で見られるのも、規模のでかさゆえです。
これが、タレントが少数の、個人に近いプロダクションならば、そうは思われません。
”売れている看板タレント&売れてなくて、いかにも肉体接待要員っぽい若手”というペア自体がありませんから。


とにかく、この世にじゃニーズとバーニング、オスカーしか存在しなかったとしたら、業界人にとって、これほどおいしいことはないだろうな。。。天国も同然だろう・・こういう風に思います。食欲、性欲、なんでも至れり尽せり、酒池肉林の大盤振る舞い、しかし時々実力でのし上がってくる不埒者がいて、聖なるハーレム生活に、水をさされる。なんて無粋な連中だろう。



何、窪塚くんの事務所って、ジャニみたく、下にわかい男の子いないの?家族経営?何じゃそりゃ
ウタダさんは?え、同じ?
広末は?広末の事務所って、後藤理沙くらいしかいないの?他は?


っていうか後藤さんは下手なんで、うちはバーターやめましたよ(井上社長談)。


えー



なにそれ、ちっともおいしくなーい!!




ええい、邪魔だからつぶしちゃえ!


まあ、これは極端なはなしですが・・・


というわけで、この辺にしておきます。



またしても、とりとめがなくなってしまいました。
実はメモ帳で書いて、順序にかかわりなく、後で付け足した文章があるからです。
えいえんさんの投稿がありましたので、おー、これは一刻もはやくアップしたい
そう思って、清書をするまもなくアップしたというわけです。
後で、今まで投稿したリンクを含めて、詳しく書いてみたいと思います。