何故バーニングがいけないのか


カテゴリ
たいとる
ブログ とりあえず/一覧 (20)



2017年10月
18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

新着エントリ
どびの輔日誌 (7/23)
予想される反論 その2 (7/21)
予想される反論 (7/20)
バーニングが何故いけないのか? (7/18)
両班階級と広澤草 (7/15)
その4 (7/8)
落下傘候補 3 (7/8)
落下傘候補 その2 (7/8)
”落下傘候補”の戦略 (7/8)
eienさんへの返信 3 (7/6)
eienさんの最返信 2 (7/6)
eienさんへの再返信 (7/6)
聖子さんや明菜さんは  3 説明 (7/6)
続き というか・・ (7/5)
もしかして (7/5)
南野陽子さんは・・ (7/5)
聖子さんや明菜さんは・・その2 (7/5)
聖子さんや明菜さんは・・・ (7/5)
eienさんへの返信 その2 (7/4)
eienさんへの返信 (7/4)


アーカイブ
2004年 (20)
7月 (20)


アクセスカウンタ
今日:15
昨日:11
累計:176,647


RSS/Powered by 「のブログ

[PR]



2004年07月18日(Sun)▲ページの先頭へ
バーニングが何故いけないのか?

一時期(2001半ば頃から2003初頭頃まで)非バーニング系の、メジャーの人たちがいっせいに叩かれ、シェアを落とし、かわりに、彼らに取って代わる人物の台頭を望む雰囲気が、世間にかもしだされました。


世間は時代遅れの”オールドウェーブ”の彼(女)らに飽き、”ニューウェ−ブ”の、全く新しいタイプのキャラクターを望んでいる。あるいは逆に、その伝統的な”ポジション”に、相ふさわしくない人間であるので、そのポジションには、新たな人物をつけさせるべきである・・と、こういった雰囲気です。なんとなくわかるかと思います。


オールドウェーブというのが”旧来の伝統的な価値観に基づく、異性支持の多い典型的な女優、アイドル”

ニューウェ−ブというのが”これからの時代にふさわしい、渋谷などを震源地として台頭する、女性上位の時代にふさわしいキャラクター””不景気に、皆が疲れている時代にふさわしい、成熟した癒し系”

伝統的なポジションというのが、”今をときめくCMクイーン””日本を代表する歌姫、””国民的女優”などです。しかし、これらのレッテルは、真実をあらわしているわけではありません。


女性の地位向上の要は、どんな業界だろうと、成熟イメージだろうが未熟だろうが関係なく、その女性の持つ、職業的な技術力以外にはありません(他の要因をしいて言うならば、”託児所”の存在)。つまり、芸能人で言えば、演技力や歌唱力といったものです。
例をあげれば、何の技術もない、人並みの人間が宇多田ヒカルと手を組んで商売したとても、おそらく何のメリットも無いでしょう。どんなに彼女に協力しても、それがセールスの向上には直結せず、当然、貢献度もゼロ、利益の中から自分の取り分を訴えることができず、ほとんどの利益が、彼女のところにいってしまうでしょう。消費者は”次の歌の出来栄えはどうなんだ?、うまく歌いこなせるだろうか?”などと、彼女の技術のみを求めているわけで、他は、全く利益と関係ないからです。というわけで、彼女と商売するうまみも、彼女がバータレになる理由もありません。技術を持つものと持たざるものの関係の、当然の帰結です。



歌の世界以外でも、おなじことが言えるのです。


一見矛盾しているようですが、どんなに”バリバリキャリアウーマン役の似あうイマドキの女”をアピールしても、その役を演じる技術が当人に全くなければ”芸でなくオンナで勝負している”と蔑まれます。逆に、”バカな男が支持するような古臭いタイプの女の役”というイメージを持っている女性でも、そのイメージが、彼女自身が、そういった役を演じられるという、技術の賜物であったとしたならば、”オンナでなく、技術で勝負している”と賞賛されます。技術とイメージは違うのです。同性には好かれるイメージではないかもしれないが、エンジニアとして社会で一本立ちできる、優秀な女性。同性に好かれるイメージながらも、社会で勝負できる技量を持たず、パパの愛人としてしか生きられない女性。この違いと同じことです。この”パパ”が、誰かさんに該当するわけです。


女性の地位がどうのこうのいっても、社会の個人に対する需要が、本人の持つ技術によるものであるかそうでないか。結局、これがすべてだといえます。男に好かれそうな技術も職業的なウリにでもしていれば、それもひとつの技術のうちですから、銀座のトップクラスのホステスは、社会において技術で勝負している、キャリアウーマンといえます。芸能界も同じです。


バーニングが問題なのは、この、”イメージと実情の逆転現象”です。バーニング内で、その”イマドキのイメージ”にもかかわらず、芸能界を、ルックスを含む、当人そのもののポテンシャル=技術で勝負している女性はほとんどいません。


イメージや役柄は旧態依然だが、実情は技術で勝負しているキャリアウーマン
イメージはキャリアウーマンだが、実情は技術でしょうぶしていない、旧態依然の女性


イメージと実情はなるべくリンクさせるのが理想・・という立場をとれば、両者とも批判の対象となりますし、実際はインテリだった渥美と寅さん、本当は小心者だった本人とジョン=ウェイン、あるいはモンローの例を持ち出すまでもなく、イメージと実情は、全く別の物だ、こう割り切れば、どちらとも批判できません。ですが、実情は望ましい状態だがイメージは望ましくない、実情はとても望ましくないが、イメージはのぞましい、どちらが健全といえるのか・・といわれれば誰しも前者をとるでしょう。これがバーニングの問題ともかかわってくるわけです。現状は、視聴者が必要以上にイメージにこだわるのだから、バーニングも、必要以上にイメージにこだわってしまう、視聴者が現状に全く拘泥しないのだから、当然、バーニングもこだわらず、実情をおろそかにしてしまっている。


バーニングだろうと他の事務所だろうと、事務所をとりまく条件は同じじゃないか、何故、他事務所を含まないのだ・・


現状では、実情の貧しさにもかかわらずイメージで勝てるのはバーニングだけなのです。ですから、ほかはあえて挑んでも”負け確定”の市場であるイメージ戦略で、積極的に勝負をしていない※のです。ここで、”イメージはバーニングの独壇場、実情は非バーニングの独壇場”という、極端な二分化がおこってしまっているわけです。


※初期の売り出しにイメージ戦略を多用するのは、バーだろうと非バーだろうと似たりよったりです。しかし、非バーは、売り出しという初期の目的を終えたとたん、すんなりと実力勝負という次のステップに移行します。この移行が、バーニングには全く見られないのです。移行する際の必要な実力というものをはなから持っていないのですから、したくてもできないのでしょうが、結局、このために、相も変らぬイメージ戦略をしつづけ、”30過ぎても、何のウリも無いアイドル扱い・・・この人、一体何者なの?”と世間に訝しがられる、モラトリアム人間を生み出すことになっているのです。このモラトリアム人間は、バー以外にもわずかながらいますが、自然に淘汰されてしまうので、残るのはほとんどがバータレのみとなります。




多くのバータレは、その、ルックスを含む技量を周防氏にかわれたわけではありません。たとえばバータレの整形前の写真がやたらと出ていますが、思わず納得してしまう事例ばかりです。”外見は芸能の実力のうちに入らない”と言い切れる問題ではありません。確かに技術ではないかもしれませんが、ルックスは、”当人が持つポテンシャル、消費者が金を払う要因=個人の生産力”つまり英語でいうタレントのうちにはいるからです。


(これ以後の説明は、バーニングがこだわる”キャラ””ポジション”とはなんぞや?という、最初に掲げたテーマとずれるかもしれませんので、この二つのテーマは、後ほど、別なところで取り上げたいと思います。とりあえずのテーマは、なぜバーニングは”タレント”を買わないのか、そしてどうしてそれがいけないのか?ということに絞っていきたいと思います)


なぜなら、売れた原因が、整形によるもので、さらに、それが、周防氏に認められた後のことで、出資も彼によるものであるならば、タレントは事務所に、何一つ発言権がなくなってしまうからです。”整形費用をだしたのも俺、お前が売れたのもそのため、つまりタレント性とは、すべて我々が施した後天的なもの。お前の潜在的なタレント性を買っていたわけではない、嫌なら出て行け”こういわれれば、タレントは搾取を容認するしかありません。もし投資が回収できてなかったら、”出て行け”が”出してやるものか”にかわり、この強権発動により出て行くことさえできません。まさに事務所に足元を見られ、自由や発言権を奪われている、置屋かタコ部屋状態といえましょう。ですが、もし整形が必要の無いルックスと、素質や才能がもとからタレントに備わっていたのならば、このような状態にはならないはずです。


かといってバーニングは、所属のバータレに、技術を身に付けさせてるようにも見えません。こんな奴に高い教育を施したところで、どうせ無駄だと諦めているのでしょう。つまり彼の目的は、タレント性もないので、当然権利も無い、よって”元値”の低いタレントを、相対的に安く使い、その割には相対的に高額な仕事をとってきて、その差額で利益をあげることなのです。
もとから技術がある人間を雇う、あるいは、これから教育する価値があるような、素質ある人間を雇う場合、雇う側は足元を見られます。そういう人は成長が早いだろうし、いずれは独立されたり、ヘッドハンティングの脅しを受けて昇給を飲まざるをえなくなったりするからです。

安く仕入れて、高く売ること自体は、何もまちがっているわけではありません。元がたいしたことない人間でも、高い技術を持てるようになるといった、高度な教育ノウハウを事務所が持っているならば、話は別です。そういった事務所ならば、”お前が高い技術を持てるようになったのはうちの高度なノウハウのおかげなんだ”と、タレントの足元を見てもいいでしょう。ですが、そもそも高度な技量というものは、事務所内だけではなく、芸能界全体に通用するはずですから、結局は、素質や才能が元からある人物と同様、技術を身に付けられたとたん、離脱のほのめかされて、逆にタレント側に足元を見られてしまうのは、もとから素質のあるタレントを抱え込んだケースと同じです。

それを防ぐには、初期の契約の有効期間を、なるたけ長期間にしてタレントを縛るしかない・・しかし、自分に芸能の自信があったり、事務所同士の争奪戦になるくらいの優秀なタレントであればあるほど、こういった拘束を嫌うはず・・・逆に、そういった契約を喜んでする人種というのは、能力も無い、誰かに守ってもらいたい、安定志向の公務員のような人間だけです。こんな性根のタレントは、芸能界では間違いなく無能です、絶対に大成しないでしょう。




しかし、これはある意味宿命です。芸能界全体に通用する、高度な技量を持った人物がたくさん出てくることは、事務所の苦渋とは別に、芸能界全体にとって、あるいはまわりまわって消費者全体にとっても、大きなプラスとなります。つまり、タレントが自由に”持ち運び”できる技術、知名度というものは、ある種、所有権が個人に所属しているもの、あるいは芸能界全体が所属する公共の財産というべきものであり、芸能事務所とは、人材の養成という目的をとった場合、会社利益とはリンクしなくなり、矛盾した存在になるのです。これは一般社会によく見られる、社員研修のジレンマと同じです。


結局、こういうジレンマが存在しながら、”仕方ないけど、だからといって、自分のところだけが、人材育成を放棄するわけにはいかない”と、それぞれの会社が割り切って、競って、社員(タレント)に、高度な教育をほどこしている業界は、逆に健全といえるのではないでしょうか。芸能界では、そうはなっていない。バーニングの成功により、育てない”使い捨て戦略”が、成功戦略になってしまった・・・・と。


せっかく投資した人材育成費が、”逃げて”しまう・・・事務所側がこの矛盾を断ち切るには、タレントへの投資が、逃げない物であればよい、つまり、施した教育、宣伝などの投資が、一切他の芸能事務所に通用しないものであればいいわけです。

教育は絶対に逃げる。これは自明です、じゃあ宣伝はどうか?
これも逃げてしまう投資の一種といえるかもしれません。タレントにとって、事務所が自分に莫大な宣伝費を投じて、世間への知名度を上げてもらうという行為は、芸能界全体に通用するものです。ですから、これも、今まで自分になされた教育、経験の蓄積と同様、他事務所に持っていけます。事務所を移籍しても”持ち運び可能”な動産です。



通用するのは、タレントが所属事務所にいるときだけ、他では通用しない、つまり、タレントが”夜逃げ”する時、全く持ち運びのできないような”不動産”とは、いったい何か・・


世間に対して、”瞬発性、一時性”が高い宣伝は、タレントが持ち運ぶことができません。


事務所が、即効性のある、カンフル剤的な、”一過性の仕掛け”を連続してタレントに行う力がある。これは、短い期間で世間に飽きられてしまい、跡形も無く残らないので、タレント側は、他事務所に持ち運ぶことができません。後には何も残らないということは、タレント個人に、何も蓄積されないということですから、蓄積されていない物を他に持っていくことはできないわけです。

会社の持つ”売れる仕掛け”は、会社の金庫に、カギがかけられて納められている・・とでも表現しましょうか。当然、夜中に忍び込んでも持ち出し不能であり、タレントの自由な移籍は抑制され、彼(女)らの所得も伸び悩むわけです。


カギのかけられた金庫の中身というのは、タレント一個人の技量と切り離された、ごり押しできる事務所の強大な政治力であり、瞬発的な宣伝力、実情は大いに異なるのにもかかわらず、大衆をまるまる錯覚さすことのできる、巧妙で圧倒的な事務所戦略などであるわけです。

巧妙な事務所戦略といっても、線引きは案外難しいかもしれません。たとえばスマップは、個人のもつタレント性と切り離されてはいない可能性があります。

”女性や少年少女が男性に求めがちなキャラ需要の典型を、5タイプに分類し、それを一グループ内で完全にカバーする、”荒野の七人、ガッチャマン、ゴレンジャー”のようなキャラクターとして売り出して成功した・・”

というのは、ジャニーズ事務所のものではなく、彼ら個人のタレント性に所属するものかもしれないからです。これは、彼らが、まだジャニーズから独立をしていないので、所有権がどっちに帰属するか、まだあきらかにされておらず、どっちともいいようがないからです。


このキャラクターが、スマップ個人個人の”素”あるいは”芸”であり、彼ら自信の所有するものであれば、スマップがジャニーズから切り離されても、この戦略は生きます。ですから、そうだった場合、これはスマップ5人の所有物か、あるいは会社所有のものであっても、”盗み出し可能”な動産である・・・といえます。彼らが、たとえジャニーズをはなれても、世間の彼らにたいするキャラクターイメージが依然としてなんのかわりもなければ、これが証明されるわけです。逆に、彼らがジャニーズを離れたとたん、ジャニーズが何も妨害工作をせずとも、世間にそのウソがばれ、ボロが出てしまうのであれば、このキャラクターというものは、ジャニーズの宣伝戦略にしかか過ぎないものであり、彼らの持つ”素”や”芸”と全く無縁の存在である。なおかつ、それは彼らの所有物ではなく、ジャニーズ事務所の所有物であることが証明されるというわけです。また、重かったり、厳重にカギや防犯装置がついていて、スマップの5人だけでは、自由に持ち運べぶことができないシロモノであったのだ・・・とたとえることができます。


夜中に工場に忍び込んだスマップの五人が、ジャニーズ社の工場の床に、コンクリートで、でんと据えつけられている”スマップキャラクター戦略製造機”という重たい機械を持ちあげて盗みだそうとしても、ピクリとも動かない。独立をたくらんでいた彼らは途方にくれる・・・たとえてみれば、こういうわけです。金庫にしろ機械にしろ、カギ、防犯装置、あるいは盗んだ後に、お前らは盗人だ、訴えるぞ!という危険性というものは、出る側が、会社とかかわり無くなったとたんに、出る側にもメリットをもたらさなくなる”自動装置”というべきものといえるかもしれません。まあ、普通の会社でも同じような事例はたくさんあるので、わかりやすいといえば、わかりやすいといえます。


”訴えられる危険性”とは何ぞや・・・・機械が軽くて、防犯設備もなく無防備状態で、持ち運びが容易なものでも、タレントが、盗んだらトータルで損だという状態を作っておいて、盗難を予防するのも、ひとつの手です。盗人タレントに対して、バッシング攻撃、仕事を干す行為などにより、そのタレントが持ち出した財産を帳消しにすることができるくらい強い事務所であれば、この戦略が取れます。盗むもんならぬすんでみな、後がどうなってもしらないぞ!ということです。これは、普通の人でもわかりやすい感覚でしょう。



事務所をでたとたん、今までの積もり積もったボロがマスコミに出され潰される。あること無いことかかれて打撃を受ける、仕事をホされる・・・


このような行為に対する弁護として、大手、弱小に限らず、事務所は、タレント個人には莫大な投資をしている。事務所がその投資を回収する前に、他に移籍することは道義違反である。これを許すと業界全体のモラルハザードや地盤沈下をもたらす。だから業!界!全!体!がペナルティーを科すというのが不文律となっている。と、よくいわれますが、果たして本当なのでしょうか。


業界全体とは、タレント個人を含めた、業界で働くすべての人間ではなく、すべての芸能事務所でさえもなく、バーニングとジャニーズのことです。他は入りません。っていうか、やろうとしてもできません。業界全体の自分の力の割合など微々たるものですので、干すことなどできないからです。これは、国際社会=米ソ二カ国のこと、他は範囲外という、かつての冷戦時代の状況と全く同じです。彼ら二組織は、アメリカが世界の警察官を自負するかのごとく”業界秩序の守護者”を自負しているわけですが、他のモラルは何一つ守護していません。ですから、本当は守護者でもなんでもありません


ジャニーズは違いますが、そもそもバーニング自体、”他事務所が利益をあげる前に移籍を促す”という道義違反を頻繁に行っているのですから、自分のとこだけはやられたら困るが、他はやってもらわないと困る・・という、見事なダブルスタンダードをやっているわけです。結局、何一つ業界全体のモラルを守護していないわけです。いわば、法治主義でなく人治主義的とでも言いますか・・


よく考えてみれば、タレントに対する投資の補償は、引き抜く側が、引き抜かれる側に、それに見合った、移籍金を払えば済むことです。スポーツ界、都市部の区画整理など、どこの世界でもやっていることです。


ですが芸能界ではそうはうまくいきません。株価操作で同じことをしたら逮捕されるくらいの、不正な”移籍金操作”が堂々とまかりとおっているからです。

タレントの人気など、株価以上の水物です。何とでも操作できます。しかも、罰せられることはありません。バッシングや仕事干し行為などで暴落させて、タレントを安値の移籍金で買い叩き、買った後に根を戻すことなど、メディアを握っている事務所であれば造作の無いことです。これを頻繁にやっている事務所といえば・・・・もうおわかりかと思います。よって、株式相場以上の不正がまかり通ります。すべての人が納得する、適正なタレントの価格などつけようが無いのです。







話をもどします

結局いえることは、バーニングは、タレントの商品的価値という、半ばタレント個人の持ち物であり、業界全体にプールされた、半ば公共的な物ともいえるものを、自由に社外に持ち出されたくないがために、厳重にカギをかけておきたいだけなのです。それが、他に持ち出せないものである・・というところがミソです。それが、=厳重なカギとなります。カギというより、鎖とでも表現した方が適当かもしれません。


つまり、もともとタレント性が低いゆえ、事務所にたいして強いことがいえない弱い人間にたいして、事務所にリアルタイムに所属していなければなんの意味も効果もない(つまり出たとたん無意味になる)、”時間的、距離的に限定された瞬発的なブーム”または”やすいけど安定した職”などの、何かしらの付加価値を与える。その交換条件として、タレント個人の自由を奪う・・前金と自由の拘束の交換条件にも似た、この置屋的な拘束が、すなわち”第一の鎖”ということです。そして前に言った、離脱以後の、バッシングや仕事干し行為などの、タレントの離脱時のデメリットで、タレントの逃走意欲を防ぎ、身柄をさらに鎖で縛っているわけです。つまりバーニングのタレントは、二重に鎖で縛られている状態なわけです。そして、バッシング、スキャンダルなどのマスコミ操作により、自分の所属でないタレントの移籍金を、どうにでも操作できるという、世界の資本を牛耳るユダヤ資本も真っ青の”伝家の宝刀”があるおかげで、その威光は芸能界全体に及び、バーニング以外の事務所にも所属しているタレントをも縛っているというわけです。

この、移籍金操作で作られた、芸能界全体を縛っている鎖が一重、バーニング内の鎖が二重、というわけです。これが、芸能界の実情です。バーニングの鎖だけなら、バー以外の勢力には関係ない話だし、バータレに対しても、”あなたたちはわかっててそこに入ったんだから、我々はしったこっちゃないよ”・・・と気楽に構えることができます。しかし、外の鎖があるせいで、そうのんきなこともいってられないわけです。
バーニングのタレントは、バーの”二重の鎖”に、あえてつながれることによって、”この芸能界全体をしばる、外の鎖”からは開放されるわけですから、タレントを縛る鎖は、最小でも一重、最大でも二重といえます。というか、この二つの鎖の要はマスコミバッシングですから、同じものといえるかもしれません。表現はなんにしろ、なんとも厄介なしろものであるといえます。




バーニングの威光は、それだけではありません。タレントに比べて、人気のうちで、個人の技量に占める割合が多そうな、ミュージシャンの世界でも同じことをやっています。
バーニングは、知的財産という、どう考えても、前述した、タレントの技量と同様である、個人と公共に所属する権利としか思えないようなものを、他から”買って”います。建前では奪っているのではなく買っているのですから、かわりに”売って”いるものがあります。それが、タレントが自分の組織に所属することでしか発揮しえない”事務所の政治力のかかった大きな仕事””宣伝を使った瞬発的な売上”であるわけです。またもや、囲い込んでカギをかけているわけです。

”政治力、瞬発力”を売り、ソフト財産を買う

もし、それが等価交換ならば、”鎖”や”カギ”のような拘束ではなく、れっきとした商取引です。タレントの世界よりも、選択の余地が多いので、ずいぶんと自由で公正のような気がします。が、実際はどうなのか・・・





バーニングと結託することにより、売上が伸びた。契約した甲斐があったと、双方は満足した。そのソフトが売れるわけは、バーの強大な政治力の賜物だ・・これだったら、政治力を使おうがなんだろうが、前述したように、それは公正な商取引と同じく、お互い特をする等価交換=トレードであり、カギや鎖のような拘束でもなく、略奪や泥棒でもありません。


がしかし、己の政治力というものは、バーニング以外の勢力を排除できるほど強力なものであって、バーニングがこの政治力を使って、自分と関係を結んでいないソフト(音楽コンテンツ)製作者を妨害したのならば、”お互い特”ではなく、”そうしなければ損である状況に皆を追い込んだ”ということで、明らかな不正で、タレントのケースと全く同じです。不正の実例は、チャート誌における出荷の不正や、あるいはタレントとおなじような、マスコミ媒体によるスキャンダルやバッシングがあります。結局やっていることは、タレントの世界と全く同じというわけです。某世界一儲かっている企業が、それで大問題になっているわけですから、同じことを行っているバーニングも、当然、咎められなければならないはずです。



結局、役者やタレントの世界にしろ、音楽の世界にしろ、このようなことが、いままで公正な業界で、いきなり横行し始めたのならば、起こされる訴訟は年に百件以上、訴訟は連日新聞をにぎわし、とっくに、社会的な大問題になっているはずです。その例が、グレイの一件程度しかないのですから、この業界は、元から腐っているとしかいいようがないのです。



ソフト産業といえば、もうひとつ重要な物があります。海外へ売り出すことのできる、日本のコンテンツの問題です。これは音楽だけではありません。日本のドラマ、映画なども、外貨を稼いでくれる、有望な輸出品目です。そして、それに”乗っかっている”日本の役者達も、日本にとって、きわめて大切な商品です。


たとえばポケモンなどのアニメ、これなどは、日本経済にとって、貴重な外貨を稼ぐ重要な産業です。このアニメ業界に、優先的に輸出されるべき、優秀なコンテンツのセールスが妨害され、かわりにとても売れそうの無い、とんでもない駄作が輸出品目にプッシュされるというような不正がまかりとったとしたら、輸出額全体が減少し、アニメ業界、ひいては日本全体の不利益になります。こんなバカなことがおこらないため、業界も政府も、公正さに極力務めています。昔の家電分野の、”冷血なまでの公正さ”などは、プロジェクトXをみるまでもなく、日本人なら身にしみてかんじとっていることです。ですが、ですがですが!!!

日本の芸能コンテンツは、いまや、アニメと同じくらい重要な外貨獲得資源になっているにもかかわらず、この公平さがまったくありません。例をあげますと、ある国に対して、日本を代表する女優を、親善大使として優先的にPRしましょう、と決めたことがありました。その国の人たちがそのタレントを知れば、タレントに付随する、出演作、代表作などのコンテンツに、自然と興味がわきます。われわれが、ハリウッド俳優などの人間を、こういった機会ではじめて知ったとき”この人はどんなコンテンツを持っているのだろう?面白いのであれば、みてみたいなあ・・”と、まず思うでしょう。これと同じことです。これは、万国共通の心理です。そのコンテンツが、輸出に耐えうる優秀なものであれば、相乗効果で、タレントの出演コンテンツも売上を伸ばし、外貨を稼ぐことができます。ですから、これは大いなるチャンスに違いありません。ということで、政治的なお飾りといえども、PR効果がたかいこのポジションに、どうせなら、ソニーやトヨタと同様、優秀なコンテンツを所有している、いわばブランドを所有しているタレントを据えるべき・・この意見に、誰も異論はないはずです。しかし、なんと日本の代表たる親善大使サマは、その派手な外見に相反して、売るべきものを、何一もっていなかったのです!


これでは、みすみす外貨獲得のチャンスを逃しているようなものです。親善大使という効果的なポジションに、セールスすべきものを何一つ持っていないような人物を据えるなどという、どうして、こんな国益に相反することをするのでしょうか?


ホンモノのタレントは、そんなものには依存せず、自然に売れるからいいんだ。そんなもの、そんなものに頼らなければ売れないような、チンケな連中にゆずってやればいいんだ。だから、お互い干渉せず、それぞれ最善な方法だから、いいのさ・・

しかし芸能マスコミの状態を見るに、相互不干渉どころではなく、お互い干渉しまくっています。そして、それぞれ最善の方法でもありません。海外の人間から見れば、この日本の状況は、公正な競争をして輸出力を高めているわけでなく、おたがい足の引っ張り合いの無益な潰しあいをして、自滅しているように見えます。なんてバカな連中だ・・・まあ、我々は相対的に得をするからいいんだけど・・・こう思っていることでしょう。現に、海外での、日本コンテンツの吸引力は、2001年以来減少しています。


何故2001年なのか?この数字に、何の意味があるのか・・もしこの2001という数字に”!”と、敏感に反応する人であれば、これは肌でわかっているひとです。いままで散々とりあげてきましたが、なかなか賛同してくれる者がおりません。たとえ短期間だろうと長期間だろうと、こういった物は、実際に見て、きいて、肌で感じた人でないと、理解できないものなのかもしれません。ですから、実感のない人にどんなに説明しても、無駄なことなのかもしれません。


結論としては・・・

そんなこんなで、民間の有志+弁護士が集まって組織をつくり、不満のある芸能界の人間ならば、誰でも、そこに提訴することができるという、芸能裁判所というべきものを作りでもしないと、こういった問題は、永遠に解決しないのかもしれません。法的拘束力はないが、そこでのやり取りは、マスコミの格好のネタにされるでしょう。結果はどう転ぶかわかりませんが、こういった組織を作ることにより、芸能界の風向きを変えることは可能かもしれません。