両班階級と広澤草


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2004年07月15日(Thu)
| ライオン先生/一覧 |  
両班階級と広澤草

広澤草は、AV女優としてデビューしながら、引退の後、女優の道に転じ、
ライオン先生の生徒役として、オーディションを受け、合格しました。
しかし、撮影中に元AV女優であったことがばれ、事務所は謝罪しました。


ここで問題なのですが、何故事務所は謝罪しなければならなかったのでしょう?彼女が元AV女優であることが、あるいはそれを隠していたことが、何故いけなかったのでしょうか?

オーディション側が、彼女をAV女優であることに気が付かなかったのですから、彼女の、AV女優としてのネームバリューなど、ゼロに等しかったと考えられます。それでいて広澤は受かったわけですから、彼女は、純粋に実力で合格者の座を勝ち取ったわけです。何故、彼女は責められなければならないのでしょうか?

それは


採用側にとって合理的選抜を保証するには、ある程度履歴書が真実でなくては困るのです。究極的には、受験者、採用者、双方の信頼関係の維持にかかわる問題だったといえます。この場合、採用された彼女の、実力は関係ありません。

AV女優でも優れた演技力を持つ者はいるかもしれないし、それが、彼女を拒絶する理由にはならないはず・・・

しかし、彼女がAV出身であるということを隠したことはとがめられるべきだ。そして審査側が、たとえAV女優の中に、AV未経験者よりは割合は少ないかもしれないが、演技の優秀な者が含まれていたとしても、彼女の演技を見ずに、AV女優であるという理由だけで審査を落とすことを、咎めることはできない。こう結論するしかないのです。何故かを説明する前に、学歴を例にとって見ましょう



中卒でも優秀な人はいるでしょう、大卒でも使えないバカはいることでしょう。
ですが、すべての受験者に、真の実力があるかどうか、一定の見習期間を与えるなどしたら、選抜のコストが無限に上昇してしまうでしょう。ですから、製品の品質検査と同じように、全部を調べることができない場合、確率を持ち出して、選抜コストを抑えるしかないのです。



大卒 使える奴がいる確率60%
高卒 使える奴がいる確率40%

統計学上
かりにこういったことが言えるならば
同一賃金からのスタートでしたら、採用枠が大卒応募者数より多ければ、大卒は全員合格させて、余った合格者を高卒から取る。少なければ、高卒を全員排除して、大卒の中から選抜する。採用側は、こういった選択をします。
短期間で、大量の人間を見なければならないなど、
採用側に余裕が無く、十分な審査の時間を取れない場合、これが合理的なのです


使えるかもしれない高卒40%は排除され、使えないかもしれない大卒40%の立場は、高卒の上になります。40%と60%、大した違いはありません。しかし少しでも合理的(手間ヒマかけずに)選抜したい採用側は、少しでも、確率の高い方になびきます。そうしないと、きりが無いからです。
人材の真の適正を見極めるとなると、一対一に近い、徒弟制度での見習い期間が必要となるでしょうが、そうすると、多くの人間をみることはできなくなり、かえって、選抜対象の裾野そのものを狭めてしまいます。結局、狭き門である”丁稚奉公候補者を”何らかの、手間がかからない、簡素な方法で事前に選ぶことになります。これではおなじことになってしまいます。結局、一定期間、なるべくたくさんの人材と接触して選抜の有為性を増すか、あるいは一人あたりの時間をたっぷりとるか、両極端をとるか間をとるか、どこで妥協点を見出したらいいのかはわかりませんが、いえることは、質と量はトレードオフに近く、どちらをとっても、結局は同じことだということです。


ですから採用側が”量”で選択の優位性を増そうと思った場合、”今の時代中卒なんて、余程なにかしらの欠点がある可能性が高い”と、解釈せざるを得ないのです。個人にとっては、なんと言う偏見だ!と怒るでしょうが、採用側は差別しようと思っているわけではありません。中卒でも、案外有能なひとはいる、大卒でも無能な人はいる、これは、皆、よくわかっています。ですが、これは、全体としての確率の問題なのです。製品の良品、不良品の品質管理と同様、すべての手間ヒマは、コストに跳ね返ります。採用側が多くの案件をさばかねばならないときは、ごくまれに見られる、個人の特別な事情という例外などに、いちいち構っていられないのです。


こいつは駄目だ・ではなく、こいつはどうかしらんが、こいつの属している集団は、駄目である確率が、少々高い・・というわけです。採用側にとって学歴などは、履歴書で一目確認するのに一秒もかからない。選ぶ側にとって、きわめてコストのかからない、楽なパラメータです。ですからこの”少々”の差は、かなり少なくても有効になりえます。※
●●は使えない、○○は使える
=○○は●●に比べて、使える確率がX%高いので
給与条件が同等ならば○○を採る
ということです。たかがX%の差のためだけに大学まで行くのはめんどくさい、俺はそんなものに頼らずに、社会で勝負できる才能があるんだ、さっさと社会で勝負させてくれ!天才を自認するA氏がそう叫んでも、A氏以外の、中卒の大部分のひとがそうでなかったら、意味がありません。A氏一人の、中卒全体に対する割合などわずかなもの。自分ひとりでは、その確率を、1%さえ押し上げることもできません。とにかく学歴というものは、選抜される側には高コストでも、選ぶ側にとっては、これほどまでに無い、楽な、低コストな選抜手段なのです。これは、言い方をかえれば、自分が負担すべき選抜コストのかなりの部分を、受験やや教育を主催する教育界全体が、かわりにかぶってくれている・・とでもいいましょうか。


”他の中卒がバカばっかりなので変な偏見もたれて、
そうでない私まで同じように見られて迷惑している・・・”
これは
”うちの学校は不良だらけで、不良でない私までも変な目で見られる。”
、某ディスカウントストアの採用方法で問題になりましたが、これと同じようなものなのかもしれません。採用される側は、個人ではなく、あくまで”中卒””不良の多い学校の生徒”という集団の一員として見られているということです。しかし、何らかの集団に属することが不可避な社会的な人間であれば、これは避けられないことなのかもしれません。”AV女優集団”についても、これがいえてしまうのです。
”AV女優になる奴なんて、ろくなのがいない・・・”これは、差別ではなくデータの問題です、それと、常識から導き出される結論でもあります




たとえ広澤が、結果として実力ある者だったとしても、AV女優であると肩書きに書けば、あるいは事前調査によってAV女優であるとわかったら、採用側は落としたと思います。たとえ広澤のかわりに採用したであろう人物が、広澤より実力で劣っていた者だったとしても、こちらのほうを採用しておけばよかった・・と思っているでしょう。何故か?




まず確率の問題があります

元AV女優に、実力のある者はほとんど存在しないのです。
この差は、学歴以上に顕著なものがあります

どうしてそれが言えるのだ?広澤がいるじゃないか・・
広澤は、現に実力が無いとはいえなかった・・

広澤は例外中の例外です。たくさんの人を見なければならない選抜において、ごく少数の例外をとりあげていたらきりがありません。確率論、常識。選抜コストの限界からいって、AV女優という履歴は、書類選考の時点で排除するしかありません。



どうして、例外といえるのか・・統計学的な根拠はあるのか?



たしかにかつてAV女優で成功したものは、”過去には、彼女達に門戸を閉ざしていたわけではなく、広げた門戸の割には、実際に、芸能界で活躍しつづけた人はきわめて少ない・・”という、過去に蓄積されたデータもあるにはあるでしょうが、それがすべてではありません。それが無くとも、演技の素質のある、あるいは自信のある人ならば、そもそもAV女優などやるわけがないという、一般常識から導き出される結論で、十分、AV女優をはねる根拠に足るのです。

どうして、女性として、あそこまで屈辱的なことをやらされてまで、金をもらいたいのだろうか、メジャーになりたいのだろうか、他に道は無かったのか?裸になってまで、カメラの前でセックスをしてまで、金をもらいたかった・・・しかし歌や演技で、少々の技量をもっていたならば、あれほどまでに屈辱的なAV女優の道など、進むわけが無い、他の、歌や演技の道にすんなり進んで、なおかつある程度の実績を、残していたはず。
結局、何の技術も素質も無い、忍耐力もない、そういた人しか、AV女優という道には進むわけが無いのだ・・・データの問題以外に、それとはかかわり無く、普通の人が考えたら当然導き出される結論というものがあるのです。



しかし、AV女優に逸材がめったにいないとしても
結果論としてはよかったのだから
いまさら問題にすべきではないのではないか?
たとえ広澤が真実を書き、落とされ
より実力が劣るものが合格したとしても
そっちの方がよかったなどと、何故いえるのだ?
そうまでして、履歴書に真実をかかねばならないとしたら
これは、AV女優差別ではないのか?




この問題に関しては、さらに、選抜の公正さという問題が出てきます

採用側が量に頼ったばあい、なるたけ選抜の正確さを増すには
受験者が出してくれる履歴書が、正確でないと困るのです
たとえ採用側が、確率上、書類選考で一発で落とすだろうと思われる
受験者にきわめて不利な経歴であったとしてもです
ですから、違反者の実力があるないにかかわりなく、
彼らに何からのペナルティーを科さないと、公平さを欠くことになってしまうのです
いわゆる、しめしがつかないというやつです



しかし、不利な側面があるAV女優という肩書きを、受験者が積極的に書くわけがありません。かといって、採用側が、受験者をAV出身かどうかいちいち確認するなんて、手間の上では不可能です。ですから、もし採用したばあい、その人がAV女優であったにもかかわらず、履歴に記載しなかったばあい、罰則を与えるという”判例”をあたえ、受験側に、”やっぱりウソを書いて受かっても、結局は駄目なんだ・・”と思わせ、たとえ受験側にとって、不利な記載であったとしても、ちゃんと真実を書いてもらうように促して、履歴書の正確さを高めてもらうしかないのです。

こうすれば、調査は受験者全体ではなく、合格者のみで足ります。合格者が実力があることは、AV女優を黙っていたことの免罪符にはなりません。これを認めてしまえば、結果オーライ主義を認めることになり、採用側が受験者に舐められ、いっさい真実を書きたがらなくなり、履歴書の信頼性が低下し、採用側は独自の調査をはじめざるをえなくなり、選抜コストは高騰するでしょう。そうすれば、徒弟制度と同じく、採用の門戸も狭まります。”質”に極端にブレすぎてしまい、AV女優も含む、なるたけ多くの人たちに門戸をひらいて人材選抜の正確性を増すという、量の側面がおざなりになってしまうわけです


まとめてみると


AV女優という肩書きは、多くのばあい、採用側から跳ねられてしまう。

→だから、確実落とされるとわかっている履歴を、受験側が、積極的に書くわけが無い。

→しかし、採用する側は、本人の履歴は、なるたけ真実に近く書いてほしい。
そうしないと、選抜の効率よく行うことができなくなってしまう。徒弟制に近い少数精鋭主義、あるいは私立探偵を総動員した大規模調査体制にでもしなければやってられない。しかしこれでは、かえって一人あたりのコストが上がり、採用の門戸を狭めることになってしまう。

この矛盾を解決するには、細かな調査は合格者のみにとどめ、実力の有無にかかわり無く、真実ではない履歴を書いたものにたいして見せしめの罰をあたえ、受験者のモラルアップをうながすしかない。これが、採用側、採用される側、両者ともに、もっとも合理的な方法であるということです。

AV女優という履歴を隠すことなく記載しながら、なおかつ合格した者ならば、正当なプロセスを経て合格した、ホンモノといえますが、AV女優の肩書きは、ほとんどは書類審査ではねられるでしょうから、こういったケースはほとんど無いでしょう。矛盾しているようですが、ですが、これは、どうしようもないことなのです。

ですから、どんなに生活が苦しくとも、どんな誘惑があろうとも、ゆくゆくは女優として生きたいと固く決心しているのなら、採用者に己の実力を疑われるようなAV女優になんかには、絶対になってはいけない。ということです。


証拠に、出ている女優の演技が目的でAVを借りる人など一人もいません。ですから、その人の演技を買って、AV女優にスカウトする業界人も、AV出演が、演技技術の向上にプラスになっていると考えている業界人も、ひとりもいません。残るは、CM出演や、グラビアなど、他のタレントも行っている、演技とかかわりのない”知名度アップ”の側面ですが、これも、何も、知名度を獲得する手段が、この世にはAV以外にもたくさん存在していて、なおかつAVが最良の手段だといえない以上、彼女は、他のもっといい道を選ぶ自信すらなかった、あるいは選んだのだが、競争がはげしくて敗北した・・と結論するしかありません。
世間には自然に、女優>CM>グラビア>大学生、ミスコンなどの素人代表>>>>>>>>>>AV女優という序列が、自然に出来上がっているわけです。ですから採用側などの業界は、わざわざ綿密なオーデを行わなくとも、これをそっくりと利用すればいいわけです。




AV女優を低い学歴に置き換えても、ある程度同じことがいえます。
”中卒””不良だらけの学校の生徒””AV女優あがり”
結局、他人が、一人の人間を、個人としてだけでなく、何らかのレッテルを貼られるある集団の一員として見るということは、社会的な効率からいって、不可避なことなのです




我々みたいな、教育程度と才能が
ある程度比例する”凡人”は構わないだろうけど・・


そんなことをしたら、”隠れた天才”が潰れてしまうのではないか??
これは、社会全体として、大損害ではないのか??



天才は、本当は教育など必要なく、はやくから社会に出して活躍させた方が合理的なのは間違いありません。天才にとって、現在行われている選抜方法が、合理的でないのはいえてます。ですが”教育程度と才能が比例していない”のならば、だったら、高等教育、就業優先などのサポートを天才に施す必要も、全く無い無いはずです。天才は、最初に就いた職場、最終学歴や教育環境などのスタートラインが、どんなに低かろうと高かろうとかかわり無く、あっという間に成功の階段を駆け上がってしまわなければなりません。というか、そうでなければ、天才とはいえない、天才の定義とは、まさにそれなのだともいえます。


ですから、天才はほうっておけばいいのです。彼らは、選抜方法、環境、教育など、社会システムから逸脱した存在なのです。AV上がりだろうがなんだろうが、そのひとが天才的な才能をもつ女優であったなら、そんなハンデをものともせず、あらゆるプロセスから、たとえば大道芸人さながらに、道端で演技のパフォーマンスでも披露して、その秀逸な演技が話題となり、マスコミ注目されるなど、正統派コースから逸脱したプロセスからでも、成功の階段を駆け上っていくことでしょう。やはり、放っておいても勝手に・・という面では、女優も、他の分野の天才も同じです。

そうでない、凡人、あるいは、せいぜい、高額な教育コストをかけて、やっとこさ社会で勝負できるようになる”秀才”である我々は、謙虚に、”ランク付けが高い集団に属するように務める”ということをしつづけなければならないのです。それがいやなら、自分を天才と思い込み、道端や中学出から、天才たちと真っ向勝負を挑むしかありません。これは、身のほど知らずであり、悪いことである・・というわけではありません。社会には、何も自分の身の程をわきまえた、地道な人間だけが必要なわけではなく、そういった破天荒な人も必要です。”勘違い人間”は、橋の下で一生を終える敗者になる確率も多いでしょうが、人々のモチベーション、競争意識を高め、社会の革新、活性化を促し、そして、あわよくば成功でもすれば、天才としてもてはやされます。社会的には、天才という基準は、先に述べたとおり、結果からでしか測りえないので、”成功した自称天才”と”真の天才”は、究極的には区別はつきません。ですから、成功したものが天才である、失敗した者は天才ではない・・と、社会は、後付けするしかありません。


とにかく、われわれにとって天才とは、どうにも手におえない領域であるので、フォローやケアなどの面で、あまり気にしなくともよい・・という認識でいいのです。ましてや、”AV女優の中に天才女優が交ざっている可能性”など、一顧だにしなくともよいのです。






話は変わって

両班とは、かつての朝鮮において、官僚選抜試験(科挙)の受験資格を、事実上独占していた階級です。”事実上”と入るところがミソです。これが、純粋な社会的階層とはちょっと違うところだからです(李朝末期には、ほとんどとイコールなってしまいましたが、それはおいときます)。
なぜなら、官僚選抜試験は、名目上は、奴隷以外、誰でも受験資格があったからです。
しかし昔の話ですので、労働せずに、長年にわたって、合格できるレベルになるまでフルタイムで受験勉強を続けられるには、経済的なバックボーンが無いものには難しく、合格者は不労所得を約束された、かってに土地内で私税を徴収できる地主、親族が高給取りの官僚などがほとんどでした、というわけで、名目上は受験資格は制限が無いにもかかわらず、合格者には事実上の制限があり、家系の中で合格者を出した数の多い家系、少ない家系の差は縮まる事は無く、地主+官僚=両班と、半ば階級として固定化されていったわけです。







これが、広澤草と、どう関係があるのだ・・・???



あまり関係ありません。
広澤の問題とからめて、名目的には誰でも門戸を開いている・・という、一見公正に見えることが、かえって選抜コストを押し上げて、生産的行動から遊離した、無為徒食の輩を増やしていく原因となってしまった・・今の日本もそうなってきつつあるんじゃないか・・と、偉そうに警鐘を鳴らした文章でまとめたかったんですが、書いているうちに広澤草の内容が、両班と全然関係なくなってしまいました。


無理目でも、いちおう書いとくか


選抜側にとって、選抜コストを無限に増やすわけにはいかない、だから候補者をあるていど絞る必要がある、データや常識において結果が出ている、AV女優、学歴、これらの肩書きである程度判断せざるを得ない。家柄や門閥でさえ、遺伝的なことを考えれば十分判断の根拠にはなる。ましてや昔の話だし・・



だが、AV女優でもいい演技する人はいるので書類ではねてはいけない、低学歴、あるいはバカと評判の一族の生まれでも、有能な奴がいるかもしれない、こうやって例外を認め、無限拡大をしつづければ、一見公平に見える、原則的に多くの人に門戸が開かれた、だが大変高コストな選抜方法を用いざるを得ない・・しかし科挙という、世界一公平と見られる選抜で官僚が選ばれた社会が、果たして理想に見合った社会であったか・・無駄な労力を生み出し、社会全体の必要経費を押し上げ、そのしわ寄せは、結局国民生活全体に響いてしまい、トータルでは社会の活力を奪っただけではないのか・・


ライオン先生オーディションでの、広澤草の一件をとりあげ、この矛盾に迫ろうかとおもったのですが、壮大すぎてあえなく挫折しました。漏れには無理ぽ。