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2004年07月06日(Tue)▲ページの先頭へ
eienさんへの返信 3

というわけで、つづきなんですが・・


青少年をにやにやとか、芸能だの
わかりにくくなってきてしまったので
まず

貞淑さなどがウリとなりえる、
”青少年にやにや”とはいったい何じゃろな?


ということで、これは擬似的恋愛対象だの、
アイドル的存在などといえばわかりやすいかと思います。
これに一番近いのが、小説などの題材の人物でしょう。
小説の主人公のかっこよさ、清楚さ、
貞淑さにあこがれる・・これは正常でしょう


小説でもいえるのですから、
当然、戯曲にも当てはまります。
ということは、
芸能人たる役者が演じている役にも言えることです。

あくまでも演じているキャラですから、
本人が貞淑だろうとなかろうと
本人がそれらしく演じていれば問題ありません。
本当は貞淑でない人間が、
貞淑らしく演じられれば問題にならないが
貞淑な人間が、貞淑らしく演じることが
できなかったら、大問題です。


ここで、”境界の不明瞭さ”が出てくるというわけです。


本質的に貞淑である人間ならば、
あるいは貞淑な女として過ごしてきた経験が長ければ
貞淑な役は演じやすいと仮定します。
つまり、キャラクタ−に近い役者を
セットアップすれば、ベストだ・・


というわけで、女優の●●さん
今度の役は、貞淑な役に決まりました
ええい、仕事のためだ!
その女優は、キャラと遊離しないため、
浮気相手のエッチをがまんして夜な夜な悶々と・・



なわけないです。



それではプロの役者とはいえません。
普段浮気してようがエッチばっかりしてようが
舞台がはじまったとたん、ココロのチャンネル切り替えて
一瞬にして、その貞淑な役になりきる。それがプロです。


というか、板前や兵隊の役が決まるたんびに
割烹屋に弟子入りしたり、
自衛隊に体験入隊したりはできません。
役柄と同じくらい実体験などしたら、
人生何百年あっても、きりがないです。
映画俳優などは、よくそういった役作りをしますが・・
でも、長期間はできません。
たとえ実体験が乏しくとも、素の自分とはちがっていても
それらしく”なりきる”のがプロの役者です。



結婚のために大学中退を決意して
お前はいつもそうなんだ!とか
あまり稼がない男とつきあって
おまえはあの男にだまされてるんだ!
と田村正和演じる父に説教されたり
妊娠検査薬を見てあせったり
で、竹ノ内豊といっしょに、びくびくしながら
千葉真一演じる父に会いに行ったり



本人がこれを実体験するのは、ずっと後の話です。


ですから、そこに妙なリアリティーがあったとしても
また、将来、いかにもそうなりそうな
先天的資質、兆候がすでに本人にあったとしても、
あくまで”演技”というわけです。これが役者の仕事です。


お前、考えすぎだよ!と思わず突っ込みたくなる
危なそうな少年



本当にブルセラしてたんだから、
あの役を、うまく演じられるのは
あたりまえじゃないか、反則だよ!


貧乏でせつない薄幸の少女
本当に貧乏で・・・・
これも反則・・??


というわけで、私は
中村愛美さんや、窪塚氏を、
リップスティックという
限定された世界のなかではある程度評価していても
全般的な役者として、
100%評価しているわけではありません。
だって、ほとんど地なんですもの・・


反面、
どう考えても、地のキャラとしか思えない
”ストーカー的、偏執的恋愛しかできない少女”
”不幸な幼少時代を送った、幸薄い、かわいそうな少女”
これらを演じながら
他ドラマで、それ以外のキャラで
ある程度、成功しているあの二人は、
役者として評価できるというわけです。


つづきます

eienさんの最返信 2

というわけで・・


1の続きです


昔と今ではちがうのか?



結論から言うと


規模は多少違いますが
今と昔で、大した変わりはありません。
なぜなら、昔も似たようなパターンがあったからです。
江戸時代、かわいいと評判の、茶屋の看板娘
あるいは、売れっ子の芸者さん、有名役者などは
浮世絵の題材にされ、飛ぶように売れました。


この傾向は、たしか大正時代まで続いていたような・・
あの時代も、やはり芸者さんはアイドルでした。


今で言うブロマイド、巻頭グラビア、写真集と
全く同じ性質のモノです。
その人の持つ芸そのものと切り離されて、
アイドル的な扱いをされていたわけです。
(茶屋の娘に、芸なんてありませんし)

股間をいきり立たせた当時の青少年たちは、
ゆくゆくは、十分な稼ぎのある大人となって、
アイドル芸者さんを身請けすることを夢見たり、
お座敷に呼んでみたいとは思っていたでしょうが
でも、それとこれとは別に、
単に、浮世絵やブロマイドをポケットにしのばせ
時々眺めながらやにやにやしていたという
自己完結した世界に生きていたことも確かです。

この心理状況は、
現代のアイドルのファンと、
全く同じだったことは想像できます。

というわけで、さっき二番目に出した
”これは芸能の範疇ではない”
これが当たってるようです。

ウリ、つまり”商品”
=”金を、ちまたからかき集められることのできる
個人のキャラクター能力”というものは、

芸とはまるきり違う物、あるいは、芸の上部構造
芸というモノはウリの中のひとつ
個人の商品的価値=ウリの中に含まれる
ということになります。

あるいは芸とは、職業技術つまり
職人さんの腕前と同じものであって
なおかつウリの一部ともいえる



←(個人の職業的技術)        →|
          |         |
職人の技量 (職能)|芸能人の芸(芸能)|青少年をにやにやさせるアイドル|
          |   ←  (ウリ)→              |


こういう関係が成り立つわけです
仮に”ウリ”を芸能と全く別のものと認識した場合
青少年をにやにや・・=ウリとなり
表はもっと単純なものになりますが
茶屋の娘さん以外の、売れっ子芸者さん、看板役者さんなど、
いまいち芸能と境界が明瞭でない物がありますので
いちおう芸能を、職業的技術の一部兼ウリの一部とします。




続きます

eienさんへの再返信

ここで、えいえんさんに、再び投稿をいただきましたので、答えてみようかと思います。


以前の投稿で、なぜ芸能界に”仕掛け”が絶えないのか?・・
それは、あなたみたいな人がいるから・・

と、多少強気の文章を書きました。じつは少々悩みまして、えいえんさんに、ここまで言ってしまっていいんだろうかと・・・

しかし、今思えば、これでよかったのだと、はっきり断言できます。この投稿を読んで、まさに、私の思っていた、”こういうひとがいるから芸能界って、ああいった作戦を取る人たちが、あとをたたないんだよな・・”と嘆くケースに、えいえんさんが、まさにズッポリと当てはまるからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



これから話すことは、あくまで前提ですから”いや、自分は違う意見だ”といわず、取り合えずそういう前提で話を聴いてください。




芸能人とは、基本的に芸を見せる人です。ですから、道端で芸を披露して小銭を頂く大道芸人と、本質的におなじ立場です。代替可能といっていいかもしれません。
もし、現代のメジャーな芸能人が、道ばたにたって、今やっている自分の仕事と同じことをしたら、小銭が飛んでくることでしょう。
たとえば

”あーウタダさんだ!うたってー”
というわけで、みつかってしまったウタダさんは
ファンにせがまれて自分の持ち歌を歌います。
”ブラボー”なんと、小銭が舞い飛んできて
ウタダさんは思わぬ臨時収入をものにします。チャンチャン


ということで


規模や、見てくれは大層違いますが、
彼女が今やっている仕事も、本質的にはこれとかわりません。
芸能とは、本質的にこういうものです。
(昔は、流しの歌手なんていましたよね)

舞台設備を携帯せねばなりませんので、
多少、大掛かりになりますが
旅芸人の一座も、やはり本質は大道芸人です。
これも、ミュージシャンと同様の性質を持ちます。
現代のすべての役者と、代替可能な仕事です。

そして芸とは
=資本、売り込む商品=なんらかの”ウリ”ということです。



※こういったものに対しての認識は
昔の人のほうが、肌で感じていたせいか、
感覚は鋭かったらしく
プロ野球選手のことを、野球芸者などと呼称していました。
(これはアマチュアリズム、●●道・・といった
スポーツの常道から外れた蔑まれるべき存在だとして
差別していたということのほかに

芸者など、芸を売りにして金を取る典型的な職業と、
彼らプロ野球選手との、何らかの共通したにおいを
感じ取っていたという理由があると思います。
そのころ、メディア経由ではなく、直接見る芸能
たとえば芸者さん、紙芝居屋、落語家、映画弁士などは
まだまだ身近な存在でしたから。)


芸の話に戻ります。
お笑い、笑わせる芝居、あるいは泣かせる芝居、音楽
すべて芸です。
そういった”ウリ”を持っている者が芸能人である。
これは今も昔もかわらない


”ウリ”とは、観客が、ブラボーといって
思わず小銭を投げたくなる衝動を引き起こす”何か”・・・
現代でいえば、
思わずその人が演じているコンテンツを見たくなる、
買いたくなる”何か”
あるいはその芸能人を、
思わず応援したくなる”何か”ということです。




ではえいえんさんが、
”ウリ”のひとつだとおもっている
貞淑さはどうでしょうか
これを道端で披露して、小銭が舞い飛んでくるでしょうか?
思考実験してみましょう


ああ。西田さんだ、なんかやって!
みつかってしまった西田さんは、
自分のウリを披露することに・・

誰かが、かっこいい男性を呼んできました。
男性が、なんともセクシーな踊りを踊り始めました

西田さんは、ちょっと悶々としてきました
しかしこの気持を、必死でこらえます。
周囲の一般の女の子たちは、
どうにも我慢ができなくなって
踊っている男性を襲いかかり、服を脱がせはじめ
いろんなことしちゃいました。素人ですね

最後まで耐え抜いた西田さん
さすがは西田さんだ、
噂どおり、彼女の、貞淑さというウリは、
見るに値するものだった。周囲は感心します。


ということで、
ブラボー!!、小銭が雨あられ、
西田さんは思わぬ臨時収入を・・







なわけあるかーーーーーーーーー








(あくまでたとえ話ですので
怒らないでください

しかし
これで小銭が飛んでくるというのは、
ひなびた場末の温泉の
エロエロショーのみです。
主旨が違います。
ですからエロ目的というのは除外してください)




というわけで、
こんなものは、到底芸として成り立ちません。
ということは、芸=ウリではないはずです。
でも、ウリになってるじゃあないか

現代では、彼女はこれによって、
えいえんさんのようなひとを
思わず応援する気持にさせてしまうのだから

どうして・・・
今と昔とかわってしまったのか?
あるいはウリというもの、
これは、芸能という範疇ではないのか?


芸=ウリでは無いのだろうか・・・






つづきます